F・ノート15

 まずいことをはじめてしまった。これでは終われない。適当にやめるが、さしあたり、「食べる」話だけしておくことにする。もちろん、例えば食べることも排泄することも物質交換としては等価であるし、食べることが生活行動の中心だとして他の行動を軽視するわけではないが。
 というわけで、先ず、山羊や馬である。豊かな草地で暮らす野生の草食動物たちは、食べることに関しては全く屈託がないと思われる。狩をしたり土を掘ったり木に登ったり、そういう面倒なことは全くぬきで、いつでもどこでも目の前の草に直に口を寄せて食べればよいだけだからである。
 さて、悠久の昔、平面生活から樹上に登って、3次元の眼と「掴む」ことに特化した器用な手と、そして雑食による脳の発達を獲得したといわれる元リスザルのような連中が、再び群れを作って樹林周辺のサバンナに降りたった。彼らは2足歩行を身に付けて立ち上がり、遠くを見通す視野の広さと解放された器用な手をもって、新たな歴史を歩み始めたのであるが、そのとき彼らは、新たな「食べ方」を始めたのであった。つまり、食べ物と口の間に、大げさにいえば自然と身体の間に、わが手を介在させたのである。
 Hand to Mouth というのは、包丁や鍋や皿ぬきに手づかみで喰う、ワイルドな食べ方を表すことばのように聞こえる。しかし、さしあたり栗鼠や猿でもよいが、彼らが山羊や馬と違うのは、自然状態にある草などを直に口で喰ってしまうのではなく、木の実などを一旦手で採り、それを口に運ぶという、2段階の動作でモノを食べる点にある。もちろん山羊といえども、水中を漂っているだけの生物などとは違って、「喰う」という行動はする。けれども猿は、ライオンのように「獲って−喰う」とまではゆかないが、手で「採って−喰う」。