1897年-17:学士風情

 「金色夜叉」にこだわり過ぎたが、あと少しだけ。
 この小説は、読者の強い要望もあって何度も中断と再開を重ねながら、5年ほども連載されるが、結局、紅葉の死によって未完で終わり、謎が残ったままとなる。おそらく読者が一番知りたいのは、ヒロイン宮は本当に心変わりしたのだったか、あるいは、何らかの理由で本心を抑えて富山に嫁いだのか、ということだろう。
 だがここでは、小説のその後の展開や、また作者の遺稿メモに残された構想などには関心がない。ただ問題は、この時代にありながら、ヒロインの娘が、真面目な学生で学士様となるべきことが約束されている青年との婚約を反古にした理由である。
 そこだけに焦点をあてて、最初のシーンを単純に読む限りでは、少女宮は、一筋に貫一を愛し彼と添い遂げたいと思う気持に揺れはない、とはいえない。いや、ここでは宮の本心はどうでもよいが、少なくとも、次のように書かれた箇所がある。
 「類多き学士風情(ふぜい)を夫に有たんは、決して彼が所望の絶頂にはあらざりき」。
 文の風格が落ちることは許してもらって今風に書き直すと、こうだろうか。
 「近頃では学士といってもさほど珍しくはないし、学士様というだけの程度で嫁ぐというのは、彼女にとって最高の望みだとはいえなかった。もっとすごい玉の輿があるかもしれない」。
 少なくとも、ここでは、学士様ではなく、「学士風情」といわれている。「学士程度の者」、蔑称である。