別の人格状態

 (承前)殺害については、判決は自ら、それを「衝動的」なものだったと認めています。いわば「逆上し我を忘れて」殺してしまったといったことなのでしょう。一方しかし、遺体を切断して隠すという一連の行動の方は、「衝動的」なものではなく、それなりに慎重に制御された行動だったでしょうし、である以上、一連の行動を制御する<心的主体>(としておきますが)があったでしょう。
 ところが判決は、「衝動的な」殺害の方をではなく、「我を忘れて逆上した衝動的行動」とはいえない遺体損傷の方を、自己制御ができない「心神喪失」下の行動であったとしたわけです。そのためには、どうしても、切断時の<心的主体>を、責任を問えない<主体>としなくてはならなくなります。
 そこで、裁判長は、遺体損傷時には、「本来の人格とは別の〜人格状態にあった可能性が非常に高い」と判定したようです。
 では、「別の人格状態にあった」とは、どういうことなのでしょうか。
 怒り上戸やアノ泣き上戸。笑い上戸に後引き上戸・・・・・酒に酔うと「人格が変わってしまう」人というのはよくありますが、関川夏央谷口ジローの名作では夏目漱石が、突如大声でわめきながら膳をひっくり返します。酒乱時の「別人格」が誰かを怪我させでも無罪となるのかどうか知りませんが、まあ、問題の別人格には、「怒り上戸やアノ泣き上戸」とは違って、「解離性同一性障害」というモノスゴイ名前がついていますから、ホンモノなのでしょう。
 注意したいのは、裁判長がこの人格を、「本来の人格とは別の〜人格」だとしていることです。
 例えば、宴会があった翌日のロッカー室などでは、「ねえねえ、夕べの課長すごかったわねえ」「やっぱ課長ってさあ、いつもは本来の自分を出せないでいるんじゃない」「そうそう、夕べが本来の課長なのよ」・・・などといった会話が弾んだりすることもあるでしょう。あるいはまた、漱石でいうなら、「酒乱時には本来の漱石とは別の人格が現れた」のではなくて、もし「本来の」という語を使えというなら、「酒乱の漱石」(酒乱時の漱石ではなく時折酒乱になる漱石=蛇足)が「本来の漱石」だったと、多分関川氏ならいうのではないかと思うのですが、どうでしょうか。けれども、何しろ「酒乱」などとちがって「解離何とか」というものすごい名前ですから、その辺の事情も違うのでしょう。