書かないです

 「大きいです」のような「形容詞です文」は、「昭和10年代までは由緒正しいと認められなかった」そうですが、ではそれまで、例えば小学校の教師は、「鯨は大きいです」、といわずに、どういっていたのでしょうか。「鯨は大きい動物です」とか?「鯨は大きいのです」とか? 
 けれども、半世紀以上たった今はもう、「由緒正し」くないとか「ぎこちない」とは思わない、違和感はない、という方の方が、はるかに多いでしょう(というか、日本語の教科書に出ています)。
 けれども、では「大きくないです」と「大きくありません」を比べるとどうでしょうか。それならやはり「大きくありません」の方が「由緒正しい」かなと感じますか。
  大きい・です 大きくない・です 大きかった・です 大きくなかった・です
 ご覧のように、「です」は、「だ、である体」に、ただ付けるだけですので、大変簡単です。この簡単な新興「です」組が、戦後、名詞文から形容詞文へと進出し、「ます」組の「大きくありません」らの抵抗に出会いながら、現在も抗争中・・・と見ればどうでしょうか(^_^)。 
 以上のような目で見ると、動詞文の「行くです」も、単に人目をひくための新奇な言い回し、ということではなく、「です」組がいよいよ、「ます」組の支配する動詞文街を本格的に攻撃しようとしている・・・ように見えてきます。
 動詞文では、
  行きます 行きません 行きました
 と、まだまだ「ます」系の支配が強固です。しかし実は既にここでも、「です」組の刺客「行ったです」が「行きました」を倒そうと狙っていたりします。
 そして、遂に、「です」組が、「ます」の本拠地である動詞文の本丸に殴り込みをかけて来た、それが「行くです」に他ならない、と見ることができないでしょうか(^_^)。
 行く・です 行かない・です 行った・です 行かなかった・です
 繰り返しますが、新興「です」組の武器は、簡単さです。「だ、である体」に「です」を付ければ終わり。
 もちろん、大方のお父さんは、「「行くです」なんて絶対おかしい、正しくない」、と大声をあげられるでしょう。けれども、「いや、私は行かないです」とか「昨日は結局行かなかったです」については、認める方がいるのではないでしょうか。
 さてそれでは、いよいよ「ます」組の支配する動詞文の本丸「行きます」に挑む「行くです」は、あえなく敗退するでしょうか。それとも・・・ 
 日本語だけではなく、どんな言語も、今の時代、広域化と簡易化が歴史の流れのようです。日本語もまた、海外学習者が常時数百万人という時代に、簡易化の方に変化してゆくでしょう。「正しいかどうか」ではなく「使われるかどうか」こそが決め手です。
 もしかするともしかするかもしれません。そのうち、「行くです」「行ったです」が、より多く使われるようになるかもしれません。いや、素人の予想は先ずはずれます。「行くです」なんて日本語じゃない!と叱られるに「違いないです」。これで「やめるです」。