3種類

 (承前)英語を話せればどんなときに役立つか、というアンケートの2位は、外国人に道を聞かれたとき、というのだそうです。そんな機会が一生のうちに何度あるのか知りませんし(少なくとも私は一度もありません)、万一そういうことがあっても、昨今では中国語や韓国語で聞かれる方が確率が高いでしょうが、そういう場合にはほっとけばいいようです。でも、英語で聞かれた場合には、英語で教えてあげられないと困るというか恥ずかしいようで、だから小学校から英語を必修に・・・(^o^)。
 それにしても、なぜ英語は特別なんでしょうか。
 (ホームページを見ると、)「よぐ頭の頁さ英語で「Sorry, Japanese only!」(日本語だげで済みません)みでえなごど書いであんのバ見しぇらいるたんびに、うんざりすんないや。言語的な不利 被ってる人か゜なしてわざわざ言語的な有利 謳歌してる人だっつぁ謝ったりしねげねんだべや(しかも相手の言葉で)。生まれなか゜らに使ってきた言葉か゜たまたま英語でねがった人か゜、生まれなか゜らに使ってきた言葉か゜たまたま英語だった人さ対して、不利バ被ったり、英語 使わいねえごどで非難さいだり謝ったりしねげねんでハ、こいづは歴然どした差別問題でがすとや。 人種差別だの性差別か゜おがっついど思う人は言語差別の実状さも気づいでけねすかや。差別の構造どして特に違いはねんでがすとや。」(→[後藤文彦の頁]
 誠にその通りと思います。
 ただ、いまは、いわゆる「英語帝国主義」の話には入らないことにします。
 後藤さんという方は、いわゆる言語差別、言語支配の問題について、大変深く考察され、また実際的な提言もされている方ですが、こういういい方をしていいのかどうか分かりませんが、いわゆるエスペランチストです。ということで、ここでも例えば、<石巻日本語−共通日本語−エスペラント>という3種類のことばの構図があるわけです。(階層とか段階とかいうことばは敢えて使わないことにします)。
 「承前」などと記しながら、前の部分を全く読み直さないで日々書いていますので、忘れましたが、水村美苗氏の『日本語の亡びるとき−英語の世紀の中で』という本のことは既に触れたでしょうか。水村氏の場合には、確か<地域語−国語−普遍語>だったと思いますが、その3種類。
 ローカリズムグローバリズムに目配りすると、どうしても、3からは逃れにくいようです。
 国連総会は2008年を「国際言語年」と宣言しましたが、「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」というのが2001年に出された際の事務局長メッセージでは、少数言語の消滅という緊急事態を前にして、次のような提言がなされています。
 「「私たちは今すぐに行動を起こさねばなりません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 まず、教育の場を含め、それぞれの言語コミュニティが、国または地域の言語と国際語を習得する傍ら、それぞれの母語をできるだけ広く、かつ頻繁に用いることのできる言語政策をとるべきです。
 そ して、支配的な言語を話す人々に対し、もう一つの国語または地域語と、一つまたは二つの国際語を習得するよう促すべきです。
 多言語主義が全面的に受け入れられてはじめて、すべての言語が今日のグローバル化された世界に居場所を見いだせるからです。
 よって、ユネスコは各国政府、諸機関、市民団体その他あらゆる関係者に対し、危機に瀕している言語をはじめ、すべて の言語に対する敬意を培い、その振興、保護を図る活動を、あらゆる場で活発化させるよう働きかけています。 」

 ややこしいいい方ですが、ここでも、
 <言語コミュニティの母語−国または地域の言語−国際語>という3種類構図があります。(続)