2-11 南海の工業地

 一世を風靡した白戸三平の名作『カムイ』では、養蚕とともに綿栽培が村を変えてゆく。そのことで村は豊かになるが、それは商品連関の中に組み込まれて行くことを意味していた。舞台の花巻村は、中学生たちが乗り換えた浜寺に遠くない辺り(岸和田藩)に設定されているのではないかと、確か田中優子氏が指摘されていた(→『カムイ伝講義』)。寒冷なイギリスはダメでインドや南米から運び込まれたことからも分かるように、綿花の栽培には南国が適しているが、商品連関の点からは商都に近いことが有利に働こう。ともあれ紀州和歌山もまた、江戸時代から、養蚕と並んで、綿糸綿布の生産地であった。
 それにしても中学生は、単なる「綿布」ではなく「綿ネル」といっている。ネルとは、保温性の高い毛織物のフランネルに由来する。 
 吉宗以来将軍職に関連深く、維新時に存亡の危機を迎えた紀州藩では、むしろ進んで新政府の方針を先取しようと藩政改革を進め、中でも、全国に先駆けて徴兵制を実施して、お雇いプロシア士官の下で近代軍隊を作ろうとした。そこで軍服もプロシア式のフランネル生地のものをと、城下の仕立屋に発注したらしい。困ったのは仕立屋で、何とか高価な輸入フランネルの代用品はないかと考えた末に、地元特産の保温性の高い綿生地を松葉で起毛した、代用フランネルを開発したという。やがて、柔らかくて暖かいこの生地は、「紀州ネル」と呼ばれて、軍用だけでなく民間にも好評を博してゆく。
 おそらく、兵服、防寒とくれば、日清日露の戦争特需もあったであろう。「南海の工業地」と呼ばれた和歌山市一帯の県北部には、綿ネルをはじめとする製糸製布また捺染といった繊維関連産業が展開し、木材やみかんなど「木の国」の一次産業に代わって、県下産業構成の50%を越えるまでになっている。当時の和歌山市は、福岡、熊本、岡山より大都市だった。
 こうして中学生たちは、「木の国」であり「工業地」である和歌山に入ろうとして、「蜜柑」と「綿ネル」を想ったのである。