2-10 綿ネル

 さて、中学生はここで、「穏柔な濃い情緒の南国の町和歌山市」を想起するに当たって、「澤山出る蜜柑」と「他人種が好んで身につけるといふ綿ネル」という、二つの物産を挙げている。古来、聖地を抱え込む温暖湿潤な熊(隈)野の深い森林は、古名「木の国」の木材や、枕詞「麻裳よし」の麻布をはじめとする山海の第一次産品を産出して来たが、蜜柑はともかく、「他人種が好んで身につける綿ネル」の方は、産業革命なしにはありえない。
 以前、1897(明30)年という産業革命期に仮設した駄文(1)で、既に機械織りの綿と汽車に言及した。
 産業革命が作り上げたものとは、模式的にいえば、マンチェスターリバプールと例えばインドを結ぶ世界システムである。植民地に拓いた広大な綿畑に、必要なら拉致してきた奴隷を並べ、収穫した大量の綿花を集めては船に積み込み、港に着くと石炭を焚く汽車に乗せて、低賃金の貧しい労働者を集めた工場に運び込み、ずらりと設置された同じ蒸気動力の機械に喰わせると、休みなく大量に吐き出される綿製品を再び汽車で港に送っては、船に乗せて世界中に売りつけてゆく。
 1913年、南海電鉄は汽車ではなく電車であるが、商都大阪そして貿易港神戸につながる鉄道で、先に触れたように中学生は「貨車」に乗っている。御三家城下町和歌山は、当時全国12番目というから、かなりの大都市で、機械織りの綿製品を生産する工業都市となっており、そこで生産された綿製品は、和歌山市で「貨車」に乗せられ、神戸の港から外国に運ばれて「他人種が好んで身につける」。いうならば、この地方都市さえも、イギリスが発明した「産業革命」システムに組み込まれている。
 もちろんこれもコジツケの類であるが、こうして、翌年始まる第一次世界戦争では、ご承知のように日本はイギリスと組んで、未曾有の大儲けをすることになる。