2-12 牢屋みたいなエレベーター

 「綿ネル」という一言にこだわり過ぎた。修学旅行に戻る。
 和歌山市駅南海電車を降りた一行は、今度は路面電車に乗り換え、「夜を圧するやうに和歌山城が聳えて」いるのを見ながら、和歌浦の「望海楼」に着いている。東京の路面電車は既に走り出していても、まだ渋谷から玉電にも乗れないが、「南海の大都市」和歌山市内の路面電車は、この年には和歌山市駅から南は黒江まで開通しており、前月、新和歌浦までの支線も開業している。
 さて、翌15日。「宿の裏の小さい亜鉛葺の小屋には、モートルの響きがすさまじく鳴って」いる。
 怪音の源は、1910年に望海楼が客寄せのために建てた日本初の野外鉄骨製エレベーターである。「檻のやうな昇降機の箱に乗って」、「裏の山に上ると、眼前に懐かしい海が廣がってゐる。阿波や淡路が淡く霞んで波のはてに見える」。
 ところで、中学生たちは朝日新聞を読んでいただろうか。ちょうど10日前の朝日紙上で、漱石は「行人」の連載を終えている。
 前回、松山、熊本時代の漱石に触れたが、この年漱石は神経衰弱と胃潰瘍に悩まされ、その連載も5ヶ月ほど中断している。10年夏のいわゆる修善寺の大患から16年末の死去まで彼を苦しめ続けた宿痾である。それでも、11年の夏8月、小康を得た漱石は、和歌山を訪れて同じ「望海楼」に泊まり、このエレベーターにも乗って、「行人」の中にそのエピソードを入れている。
 手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。(中略)
 二人は浴衣がけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶しい感じを起した。
 「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語いた。
 「そうですね」と自分が答えた。
 「人間もこの通りだ」。(中略)
 牢屋に似た箱の上りつめた頂点は、小さい石山の天辺であった。