エリスだって分かりませんよ

 ビスマルクの宰相在職は1871年から90年までですから、1884年から88年までのドイツ留学と90年の舞姫発表は、ちょどそこに入っています。
 しかも、鴎外は、ただの留学生ではありません。ドイツ陸軍の衛生制度を調べよという指令を受けて陸軍省から派遣された鴎外は、ドイツの軍医学、軍医制度などを調査し、さらにまた、日本代表団の一員として国際会議でも活躍します。当然、ドイツ陸軍は、彼の動きに注目していたでしょう。
 それとエリスは、どういう関係があるのか、と思われるでしょうが、ある本(→『あの戦争になぜ負けたのか』)で、錚々たる研究者の方々が、こういう会話をしておられます。
 半藤一利「〜僕は長年、日本の海軍がなぜ〜親独になっちゃったのか疑問で、〜ようやく聞き出すと、〜実はドイツは女を抱かせたからだというんです。〜」
 保坂正康「〜ドイツに留学すると、ホームヘルパーの名の下に女性が一緒に住むんですよ。要するに現地妻をあてがわれるわけです。」
 中西輝政「冷戦中もKBGがしきりに女性を使って籠絡しますが、そういうテクニックはビスマルク時代のドイツが組織的に編み出したと思います。森鴎外のエリスだって分かりませんよ(笑)。留学中の外国軍人なんだから。」
 ま、(笑)のつくような、話半分の話でしょうが、渡独した高級将校が「あてがわれ」て籠絡された実例がいくつもあるようですし、一方鴎外という人は、帰国後すぐに迎えた妻と離婚した後、再婚相手がみつかるまで、親から妾を「あてがわれて」いますから、潔癖に拒否するヴィタ・セクスアリスではありません。エリスだって分かりませんよ(笑)。
 ロンドンの漱石が探偵としてシャーロックホームズと張り合う小説は読んだ記憶がかすかにありますが、そういえばベルリンの鴎外も、似た小説があったようななかったような。誰か書かないですかね。ベルリンのエリスはドイツ諜報団の一員で錯乱は仮病、ライプチッヒで親しくなった「黒衣の女性」ルチウスも同じく一員、といった小説(笑)。・・・などと書いてから、今検索したら、海渡英祐『伯林一八八八年』というのがありましたね。内容は全く知りませんが。
 というわけで、諜報員エリスの船賃はビスマルクから、といったことも、フィクションならありうるかもしれませんが、事実は小説より奇では滅多にありません。ま、実際の事実はほとんどありふれていて、多数ある研究書を全く見ない素人が普通に考えれば、ちょっとだけ普通じゃない普通のことがあったというだけのことではないでしょうか。
 大体鴎外は、1884年の10月にベルリンに入りますが、翌月からライプツィヒに行き、ドレスデンミュンヘンとまわった後、ベルリンに戻って住んだのは、1887年4月16日から翌年7月5日までの、僅か1年3か月です。しかもその間、コッホの衛生試験所に入所、近衛歩兵連隊に軍医として勤務、9月から10月にかけては赤十字国際会議さらに万国衛生会に参加、など、結構忙しく公務に従事し、ベルリンにずっと腰を落ち着けていたわけではありません。その上、帰国予定が近づくとその準備でも慌ただしかったでしょう。誰にも紹介できるようなしかるべき女性としかるべき場所で出会って「純愛」を育むといった余裕は、物理的にも心理的にも、少なくとも十分にはあったと思えません。
 普通に考えれば、間もなく遠い国へ帰る身、幼い15才だったのかもっと年上だったのか、貧しい素人女だったのか商売女だったのか、あてがわれたのか引っかけたのか引っかったのか、そんなことはどうでもいいことですが、いずれにしても、一時的な関わりですむ筈の女と一時的に関わっただけのことなのでしょう。それだけなら、当時の男としては別にどうということはなく、だからどうということなく終わる筈だったのですが、さて帰国となったとき、多少余分な情が移ったか貧しい境遇に同情したか、女に渡した少しまとまった残り金が、もしかすると下世話にいえば手切れ金の相場より多く、それが彼女に、どんな思いであったかは別にして、余計な思いを与えたのか、後先考える頭もなく、彼女はその金を「路用」にして後を追うことに決めた。とまあ、そんなところまでしか素人の想像は及びません。
 ところが森家の方では、将来を嘱望される自慢の息子の無事帰国を迎えたかと思うと青天霹靂、突如玄関に異国の女が現れて異国語で言い立てる内容が、どうも大事な息子とどうとかこうとかで、ともかく会わせてほしいというようなことらしい。これはうまくあしらわなければ「家」の恥になるかもしれない大事ですから、「家」としてはともかく穏便に穏便に。最初から当人が出ちゃまずいが、いずれ当人が出ないと納得しまいとか、あれこれあった末に、でもまあ往復の旅費はもちろん、こんどは文字通りのまとまった手切れ金を包み、やれやれ何とかお帰り頂いた。
 日記もあるそうですし、多くの研究者が研究していることを、全くの素人が想像でいうのですから、全然見当はずれかもしれませんが、まあ、そんなところが、当たらずとも遠からじだったのではないしょうか。大がかりではあっても、ある意味よくあることであり、つまり若旦那の「若気の過ち」といったありふれた話です。ところがこれを、男はそこらの若旦那ではなく、女もそこらの軽い女でもスレた女もなく、出来事もただの若気の過ち事件などとは全く違うのだとイイワケし、評論家諸氏まで何とかの何とかだと持ち上げるので、高橋先生の学生さんをまねて、失礼ながらひとこと下世話な口を挟んだだけのことです。
 かの名作イイワケ小説のことは繰り返しませんが、例えば、女は無謀でも愚鈍でも無教養でもなく、男も不誠実ではなく彼女を生涯忘れず文通を続けたという娘杏奴氏の証言があるそうですが、日記や受信書簡や住所録といった裏がとれているのでしょうか。いずれにしても普通に思う限りでは、深い約束があったとするなら男の応対は余りにも卑怯ですし、何の約束もないのにあるつもりで後先考えず女が長い船旅の末に玄関にやって来たのなら、純情を信じる前にネジの緩みが心配ですし、逆に後先も分かり決着の腹加減も分かった上で玄関に来たのなら、相当世慣れた女でしょう。
 などと、長々と続けた割には蛇尾も蛇尾。あと一回で終わります。というか、もしかすると、以上が長い前置き解説なのかもしれませんが(^o^)。(続く)