アジアあるいは義侠について24:お気の毒

 それにしても、天皇制というのは大変お気の毒な制度です。中学校では日本国憲法の3原則は基本的人権の尊重と国民主権と平和主義だと習いましたが、本当ですかね。職業選択の自由なく思想表現の自由なく参政権なく居住の自由なく恋愛の自由もなく、何もかも基本的人権を認められずに生涯を終える運命の人がいるのですから。たまたま生まれついた人は実にお気の毒な限りです。改憲というなら、基本的人権を奪われた人が基本的人権を原則とする国のシンボルだという「絶対矛盾の自己同一」状態を、何とか少しでも改正して差し上げるのが臣下の道ではないかと思うのですが、敬愛するという人々ほど冷たく利用するというのはどうしてでしょうか。またしても横道ですが。
 さて、どうでもよいことばかりだらだらと書いてしまいましたが、元はといえば、橋爪大三郎氏絶賛と帯にあった中島氏の大著を、僭越ながら私も最後まで面白く読ませていただきました、ということから始まったのでした。何度もいうように、この本について何かいうとするなら、氏の「アジア主義の覚悟」への敬意を表するのが基本であって、あとは中学生レベルの余計で失礼なイチャモンに過ぎません。
 ということですが、既にマンガ『ヒストリエ』の図を出した時に触れましたが、駄文のもとはといえば・・・元はといやあ江の島で 益体もない与太話 年季勤めの稚児が淵 「アジア主義」から『ヒストリア』 とうとう島を追い出され いやいや島に乗り込んで 下を上への大立ち廻り・・・などとまたまた馬鹿をいっていてはいけません。とにかく「アジア主義」についての評論大著から『ヒストリア』という小説大著を連想した、という単純なお話の筈でした。それがつまり、「アジアあるいは義侠について」。
 といってもさっぱり訳が分からないと思いますのが、とにかく先ずは、あと一回だけ中島氏を引用しましょう。
 と書いたのですが、面倒なので、引用はやめます。だから正確ではありませんが、乱暴にいえば、こういうことです。
 葦津珍彦という人がいて、世間では有名な右翼の論客ということになっています。まあ、そういうレッテルは今はいいとして、この人の西郷論『永遠の維新者』を、中島氏は本の中で引用しています。もちろん私は読んだことも触ったこともありませんので、予断なく引用部分を紹介しますと、こんな風なことを書いているとのこと。(続く)