太田光と中沢新一

monduhr2006-10-24

 先日買って読んだ本のことを書こうと思うのだが、何となく気が重いので、つまらない話からはじめる。
 昼食時、よく行く店が満員の上、時間がなかったので、回転の速そうな店に入った。
 首からIDカードを下げたままのサラリーマンが多い。隣の客が「日替わり定食」といったので、早そうだと思い、「今日はは何?」と聞くと、「豚カツと鮭フライト鰯フライと・・」という。「じゃ、鰯フライで」といったら、「いえ、それ全部入っているんです」とのこと。確かに、それ全部に卵やハムやサラダまでもが一緒に乗った大きな皿が、アサリの味噌汁と漬け物と小鉢と一緒に出てきて、それで1000円札にお釣りをくれた。
 帰りに本屋に寄ってみると、目立つ棚に太田光の『憲法九条を世界遺産に』があって、それなりに売れているようだ。前に見かけたときには買わなかったのだが、電車本用に、隣にあった井上ひさし永六輔小沢昭一の鼎談パンフと一緒に買ってみた。そちらの方は、読むためというよりご老体お三方へのカンパのようなつもりで、失礼極まりないのであるが。
 ということで、問題の本なのだが。
 太田光は、確かにただ者ではないが、中沢氏はやはり、何というか、のっけから太田に「日本の思想界の巨人」といわれて、怒るでもなく言葉を遮るでもなく、「思想界の巨人ねえ(笑)」とやに下がっている。自分は、お笑いの人たちとは違って日頃から「鋭い」ことをいっており、この本でも「とんがった思考を展開」しているのだそうである。私などは、少なくともこの本では太田の方が<鋭い>ようにも思えるのだが、自分の方がトレーナーで、私にぶつかってくれれば鍛えてあげましょう、てな態度。ま、微笑ましいというか何というか。尊大にも嫌味にも聞こえないから、この人は、多分人柄がいいのだろうと思う。
 で、対談の中身である。田中智学といえば「八紘一宇」という語を作った国家主義者だが、前半は、あの宮沢賢治が晩年、その田中に<いかれて>しまったということを巡る議論である。大方の賢治の愛好家や研究者が、田中への傾倒を無視するか一時の誤りとすることを批判しつつ、どのような道を通って正義と愛が時に人を殺すのか、を太田は執拗に問おうとする。
 だがそれは、まさにオームへの問いでもあるから、当然太田はそこに言及する。けれども、やはりその話題は避けたいのであろうか、中沢は最初、太田発言にひとことも反応しない。しかし2度目に太田は、あのとき中沢さんは傷ついたでしょう、と、逃れられない問いかけをし、なお「そのとおりです」としかいわない中沢に、あそこで「中沢さんが自殺」することで「自分が傷ついたということを表現するのも一つの方法だったんじゃないか」というような思い切った言い方までして、中沢氏を当事者として何とか話の場に引き出そうとする。
 それでも中沢は、少なくともこの本の中では、何もいわない。「言い訳けしない」というのが、当時も今も自分の態度だというのである。その一方で彼は、ハイデッガーを引き合いに出して、ハイデッガーは自分が一時ナチスにいかれたことについて一言も語らなかったが、しかし「その哲学は不滅である」、という。おそらく、自分もまた、オームに入れあげたことについて何もいわないがその思想は不滅である、と思ってもらいたいのであろう。
 もちろん、それはよい。何しろハイデッガーは20世紀思想界の巨人らしいし、中沢新一氏も同じく「思想界の巨人」である。ハイデッガーナチス、中沢氏とオーム、いずれについても、巨人の行動や思想を論評することなど凡人にはできない。さらにまた、言い訳けはしないという態度を貫くというなら、それも当人の判断であって、それについてとやかくいうつもりも私にはない。だから、それはそれでよいのである。
 ただ、それなら、他人について、おしゃべりが過ぎないか。ナチスと自らとの関わりについて黙して語らなかったハイデッガーを高く評価し、自分もまたオームとのことは語らないと繰り返すその一方で、宮沢賢治の田中智学との関わりについては、研究者が何もいわないのはいかんと、他人事のようにしゃべるのは、不公平というものではないか。
 宮沢賢治の愛好者や研究者も、同様にいう権利をもっているだろう。宮沢賢治もまた一時「政治的に失敗」したが、そのことについては語る必要はないのであって、賢治は近代童話界の巨人として「不滅」である、と。
 だが、中沢はいう。宮沢賢治の研究者たちは、賢治の国家主義への関わりを「語りたがらない」か、あるいは「一時的なこと」だとして「すまそうとしてきた」が、それは間違っている、そういうことは「隠してはいけない」、と。そして、「彼が信じたものは何だったのか。なぜ彼がそちらの方向にいったのか」という太田の問に対して中沢は、「そこを解明できないと」「一歩も先へ進めない」、というのである。
 なるほど、と私は思いを変えたのであった。なるほど。人は常に平和の旗を掲げて戦い、あるいは愛こそが時に人を殺す。平和と愛を語れば戦争と殺人から離れていられると信じて疑わない浅はかな凡人には、平和と愛の作家宮沢賢治国家主義への傾倒は、一時の「政治的失敗」にしかみえない。だが、実は、宮沢賢治の「政治的活動」と「童話の創作活動」は、「深くつながっている」のであって、「危険な政治思想への傾きは見えないように隠して」「童話の世界だけを、高く評価してきた」研究者たちは間違っていた。「ここのところを隠してはいけない」。なるほど。
 なるほど、とさらに私は考えた。同様に、浅はかな凡人にとっては、ハイデッガーナチスへの傾倒もまた、一時的な「政治的失敗」にしかみえないが、彼もまた、いや彼こそは、常識的知性なら敬遠するだけの神話的領域に、何ものをも恐れることなく踏み込んだ「思想的巨人」であって、賢治の「政治的活動」と「童話の創作活動」が「深くつながっている」ように、ハイデッガーの「政治活動」と「思想」とは「深くつながっている」のでもあろう。彼のナチズムへの関わりは、ある時代条件の中で、巨人である彼がまさにある領域に踏み込んだという思想的できごととして読み直されるべきである、ということになるのであろう、と。
 だが、またも私は、自分の浅はかさを知らされる。中沢は、ハイデッガーナチスとの関わりを一時的な「政治的失敗」とした上で、それは、彼の思想の中に「痕跡を残していない」というのである。痕跡がないものは、彼の思想と「深くつなが」ることもできないし「隠す」こともできない。痕跡のないものを取り上げて論難したりするような評者は馬鹿である。
 分かっている。私は誤読しているのであろう。ハイデッガーや中沢氏が「傷ついた」「痕跡」とは「危険な政治思想」に「傾」いたことではなく、そのことを浅はかな凡人から<非難された>ことをいうのでもあろう。だが私は、そういう甚だ次元の低い話から救うために、太田にならって、敢えて誤読する権利を行使しているのである。ちなみにその権利については中沢氏も大いに賛成している。
 結局、ナチスとの関わりに触れないでハイデッガーを高く評価したり、オームとの関わりに触れないで中沢氏を高く評価し「思想界の巨人」と讃えるのは構わないが、宮沢賢治の場合は、田中智学との関わりに触れないで評価するのはダメだ、と、簡単にいえばそういうように私は読んだが、もちろんそれは、私の誤読であるか読みの浅さによるのであろう。とにかくそんなわけで、途中から何となく白けてしまったのを何とか騙して、一応最後まで読んでみた。
 すると、一番最後に、中沢氏は、次のことばで対談を締めくくっているではないか。自分は、「世界を変えたいという、狂気じみた願いにとりつかれている」のだ、と。私は最近とみに健忘症ではあるが、かつて、松本千津夫という、「世界を変えたいという狂気じみた願いにとりつかれた」男がいたということ位はまだ覚えている。
 太田光がこの本の中で執拗に問いつめようとしたのは、「世界を変えたいという狂気じみた願い」は、どこで、どうすれば、殺人や戦争に向かわないですむのか、すまないのか、という問題だった筈である。だが何のことはない。一時的に「傷ついた」がもはや「痕跡」が残っていないらしい中沢氏は、気の毒な宮沢賢治だけをまな板に載せていろいろしゃべった後に、堂々と松本某に戻って終わるのである。
 以上、浅はかにも、また心ならずも、思想界の巨人である中沢氏に対して、甚だ失礼な物言いをしてしまったことをお詫びしたい。大方私の誤読であろう。全体としては、かなり面白く読ませて頂いた。他人にも勧めたい本である、まじめな話。