アジアあるいは義侠について35:一君万民

 松下幸之助『指導者の条件』という本には、「指導者は〜謙虚でありたい」など、立派な自戒のことばが書かれているそうですね。
 昨日、西郷『遺訓』の、「廟堂に立ちて大政を成すは」という書き出しに触れました。それを、松下と同じように、西郷が自分(たち)のことを言った、立派な自戒の言葉だと読んだのでした。ただ、何しろ立ち読みで文の後半を覚えていません。もしかして、これは天皇のことをいっているのでしょうか。それなら、昨日書いたことは取り消さないといけません。
 では、もう一ヶ所、立ち読みで覚えてきた書き出しはどうでしょうか。 
  「万人の上に位する者、己を慎み・・・
 「己を慎み」というのですから、天皇に言った言葉だとすれば失礼です。これは、「己」に向けた自戒の言葉ではないでしょうか。「廟堂に立つ」他の連中の「慎み」の無さを思うまでもなく、人格者であった西郷の謙虚な人柄が出ています。さすが西郷ですね。
 え、謙虚?
 そう、謙虚なんでしょうね。自然体で、自分を「万人の上に位する者」だと思っているのでしょう。
 しかしこれ、どうなんでしょうか。前に、「人は人の上に人を作らず」といいながら「学制」を「上から仰出された」福沢のことに触れましたが、それでもさすが「上」は<お上>であって「自分が上から」言い出したということではありません。
 しかし西郷は、たぶんごく自然に、自分を「万人の上に位する者」だと思っていたのでしょう。そしてまた、そういうところが、西郷のスケールの大きさだと見えるのでしょう、ファンの方々には。
 しかし、くどいですが、戊辰の政変といのは、政策のあれこれは別として「政体」については、共和制になったわけでも王朝が変わったわけでもないのですから、それを「革命」的な大変革とか、全てを一新する「維新」だとかいうためには、その理由づけを、天皇親政への復古に求めるというのが、少なくともタテマエではないでしょうか。 
 その後の歴史で繰り返し叫ばれることになる、「一君万民」という合言葉がそれですね。
 その思想は、一方では「万民」に力点が置がれて、身分撤廃やデモクラシーの主張に都合良く利用された場合もありますが、それより「一君万民」は「一君」に力点が置かれて、統帥権をかざした軍部独裁や天皇絶対の思想統制に猛威をふるいます。
 いいわるい、賛成するしない、の問題ではなく、確かに、幕藩体制が瓦解して大政が奉還された戊辰の政変から「一君万民」がスタートしたのですから、そのことを以て、戊辰の政変を「革命」とか「維新」とか呼ぶのは、それなりに理解できます。「天皇絶対」の国家になったということですね。天皇絶対の国家になった、その合言葉が「一君万民」なわけです。
 「さて、そこで問題です。」
 「万人の上に位する者」は、「一君」でしょうか「万民」でしょうか。