言い寄った島妻

 行きがかりで、今日UPされた、NHK西郷どん」に関する記事が眼にとまりました。ちょっと長いのですが、「「西郷どん」…“生々しい奄美”に地元出身の歌手が「感謝する」理由 島唄誇れなかった時代」というタイトルで、ドラマのエンディングソングを歌っている地元出身のシンガー城南海(きずき・みなみ)さんへのインタビュー記事です。
 今回のドラマ「西郷どん」では、「薩摩に支配されていた時代」の「リアルな島の姿」が描かれていて「本当にありがたい」と城さんは語っています。
 少し引用させていただきます。

 ――(聞き手:寺下真理加記者)「西郷どん」では、奄美が支配されていた場面も描いています。
 (城)「『西郷どん』で、その(これまでは記録に)『残せなかった時代』を映像化する意味って、すごく大きいと思っています。実際、放映が始まって、島の内外の人から『昔の島の暮らしは、あんなだったんだろうね』と言われることが多いです。一方で、鹿児島の人にとっては、見ていて心苦くなる面がある、と聞きました」
 ――搾取する側ですものね。
 「奄美の黒砂糖が薩摩の力になっていた。そして力のある薩摩が、日本の政治の流れを変えていった。もちろん今回のドラマ放映まで、そのことを知らなかった人も、たくさんいらっしゃると思うし。島の人間の多くは長い間、公には言わず、胸にしまってきたことですから。大河ドラマは、島の歴史を知ってもらうための本当にありがたい機会だと思っています」

 私は見ていませんが、しっかりした意図をもって、薩摩の奄美支配をドラマの中に組み込んだということでしょう。見ないでいうのは失礼ですが、大いに評価したいと思います。
 もちろん西郷が主役のドラマですので、脚色や創作は当然欠かせません。薩摩の島支配を目の当たりにした西郷が島人に同情し、苛酷過ぎる取り立てに抗議してやたりしているうちに島人の西郷を見る眼が変わってゆき・・・というような、例えばそんな運びがあって、そこに「恋愛」色が入ってくる。

 「薩摩に支配されていた時代ですから、島の人は、本来なら、薩摩の人間が好きじゃなかったはず。でも愛加那さんと惹かれ合ったとすれば、それだけ西郷さんは魅力的な人だったということ」。

というように、西郷が持ち上げられるのは、ドラマだから、まあ当然ですね。ただ、

 「愛加那さんは、3年後、夫と離ればなれになり、最後は自分の子どもも夫の元に送ってしまい……。孤独な人生、と考えることもできる。本当につらかったはず」

という歴史的事実は曲げられませんし、多分、ドラマでもそのことは描かれるのでしょう。
 その場合、「西郷ドラマ」として大事なことは、薩摩藩士西郷が愛加那という島妻を置いたという事実を、「薩摩の島支配」という政治的文脈からできるだけ切り離し、あるいはそれを薄めた上で、<愛加那主導の愛情物語>として書き上げねばならないということです。西郷から求めるのではなく、むしろ西郷は消極的だったのに、女性の方が「それでもいい」と言い寄ったことにしないとまずい。

 「ドラマにある通り、『アンゴ』は島にいる時だけの奥さん、という宿命です。いつかは鹿児島へ帰る人、それでも一緒にいたい。その思いが勝って、愛加那さんは西郷さんとの結婚を決めたんだと思います」

 愛加那が自分から「それでいい」と言い寄ったということで、前半は「薩摩の島支配」を背景としたパワハラ・セクハラではなく女性が自ら愛を捧げる物語となり、後半生の「女性としての苦悩」「そして、母親としての苦悩」についても、西郷の責任は問われることなく、むしろ、「西郷さんとの3年間に、彼女の人生のドラマがギュッと詰まっている」と美化されることになります。
 繰り返しますが、大河ドラマなのですから、主役の西郷が女性にとっても大変魅力的な人物だったということを描き、そして、支配薩摩の男と被支配奄美の女の関係ではなく、あくまで愛加那の方から言い寄った純愛物語だったということを描くのは、当然のことでしょう。
 ただ、例えば、「西郷隆盛の妻、および西郷家の女性たち」(ここ)というサイトによれば、西郷が薩摩へ帰った後、西郷が徳之島に来たことを知った愛加那は奄美大島から徳之島へ移ろうとするのですが、西郷は、大島代官所の役人への手紙で、

 「召し使いおき候女が決して渡海いたさざるようお頼み申し上げ候」

と書いているとのことです。役人宛の言い回しということもあるでしょうが、「召し使いおき候女」とは愛加那のことで、しかも、どういう理由だったかは別として、会いに来るのを許可しないでほしいと役人に依頼しているのです。
(ちょっと一言のつもりでしたが、長くなったので、続けます)