エウレカ

 「悪夢のような」首相の下でのコロナ拡大。
 今がピークでいずれ終息に向かうというのはもはやごく薄い希望でしかないが、ワクチンや治療法が実現するまでこのまま続くという予測も、突然変異で感染力や毒性が飛躍的に強まるかもしれないという恐怖も、全てありうるが根拠がない、あるいは根拠がないがありうる、というのが現状だろう。  
 デカメロンにならう余裕なく、「検査なければ感染なし」という、あきれたアベ隠蔽戦術にならって、「見ないふり」をして暮らす他ないのだろうか。それが可能ならの話であって、弱者から順に、多くの人々の暮らしがなり立たなくなりつつあるのだが。
 そんなわけで、申し訳ないが、遠い学の話でも。
 高校の時はじめて自分で本というものを買ったのが岩波新書の遠山啓『無限と連続』だったが、その冒頭でガロアを知った。カント―ルに行く前の枕だったが、それがものすごくカッコよかった。何しろ「神々の愛でし人」なのだから、当たり前である。
 先日、本屋の新刊文庫の棚に、『ガロア-天才数学者の生涯』(角川文庫)という本を見つけた(ただし10年前の中公新書の改訂版)。数学史、政治史の中にガロアを置きつつ、諸研究を踏まえて、これまでの評伝では悪役?だったコーシーの正当評価とか、決闘相手の確定とか、面白く読ませていただいた。
 読み終わってから、たまたま並行して読んでいた本の一冊、『宇宙と宇宙をつなぐ数学-IUT理論の衝撃』(角川)と、著者が同じ加藤文元氏だったことに気が付いた。こちらの本は、望月新一氏の画期的な数学理論が、ほとんどの数学者にも「分からない」超絶理論であることを、一般読者にも(楽しく)「分からせよう」という超絶課題を背負った本であるが、氏の筆力によって、読者は、「少しは分かった気になった」と思わないわけにはゆかないことになっている。といっても、もちろん「分からない」のだが。
 かつて構造主義が流行った時代に何かを書いたり言ったりした人たちは「群論入門」などという本を開いたりしたはずであるし、その後もゲーデルとかマンデルブロとかが話題になったこともある。専門家から見れば、たぶん、(これは数学とはいえないが)電器量販店の扇風機売り場で、一時期、「奥入瀬のそよ風」などと書いていたキャッチコピーを「1/fゆらぎ!」と書き換えることが流行ったのとあまり変わらないことなのだろう。しかしもちろん、実際に扇風機は売れたのであって、分からなくても「分かった気分」を馬鹿にしてはいけない。
 などと、気分だけでもコロナ逃れをしようと新聞を眺めていると、この時期の常で、終わった入試問題が掲載されている。そこで、超絶数学理論についての本を読んだ勢いで、私立中学入試の「算数」図形問題をやってみた。配点からして、合格する小学生には、5分か10分程度で解けるはずの問題である。ところが・・・これが1時間たっても「分からない」。
 世の中、こんなものである。