シーンとストーリー


 また書かなくなってしまいそうなので、何か書きます。

 時節柄、結構リモート関連仕事なども降り掛かって、PCの前には居過ぎる程なのですが、世の中の事々については、皆様方のご覧の通り言われる通りで、もはや余言を挟む気もありません。

 仕方がないので、厚い本でも読んで見ようかと、島尾ミホの評伝を開いてみました。梯久美子氏の『狂うひと』。まだそれほど読み進んだわけではありませんが、吉本、奥野がひろめた、「古代自然を生きる島長の娘である聖なる巫女の少女」と、「島を護るべくヤマトから来た荒ぶるマレビト神その実近代インテリ軍人」、といった基本構図を事実によって批判的に壊しながら進むルポで、これは最後まで読み通す予感があります。

 一方、それとは全く関係ないのですが、昨日、買ってきて読み始めた文庫小説に、どうも見覚え、いや読み覚えのある箇所が出てきました。立ち読みだけで買わなかった本なのかとも思いましたが、立ち読みには作法というか一定の手順があって、そんな中途半端なページだけ立ち読みしたとは思えません。同じ本を二度買ったというのはよくあることですが、この本については、シーンは読み覚えがあるのにストーリーの先は分からないというか、その先を読んで知っている気がしません。
 ということなのですが、奥付をみると初版からまだ一年あまりしか経っていないので、立ち読みにせよ二度買いにせよ単に忘れただけにせよ、ともかくこれ以上どうでもよい話はないでしょうから、これで今日はおしまい、ということにします。

 無理に付け足せば、島尾敏夫の小説もシーンがあってストーリーがない、といって悪ければシーンは覚えているがストーリーは覚えていないといった小説でしたね。そんないい加減なことを書いては叱られますが。