シーンとストーリー5

 いつものことながら、シーンもストーリーも、どこかに行ってしまい、ただ怪しい話が続くだけですが、とにかくつなぎます。

 「それだけでは多分ありません」、と前回の終わりに書きました。
 スポーツとは「勝ち負けのある身体活動です」、と先生が子どもたちに言ったのでしたが、先生はまた付け足して、スポーツとは「女・子ども・障がい者は、男・大人・健常者に勝てないような身体活動です」、と言うかもしれません。例えば100メートルを走れば、成人男子が勝つに決まっています。
 そこで女子たるもの、そんな種目は意地でもやらずに、「それじゃ、こういう種目ではどうだ」、と女子が男子に勝つ種目を探して、五輪種目とすることを提案する。・・・といったことはならないで、記録上負けるに決まっている同じ100メートルを走って、女子の中では一番、と勝ち名乗りをあげる。

 とはいえ私は、オリンピック、もっといえばスポーツというものに根深い男・大人・健常者中心主義に、女子アスリートもまた支配されている、といいたいのではありません。まあ否定はしませんが、それだけでは多分ありません。おそらくもっと直截的な内的欲求があるのでしょう。「ひとよりも速く走りたい」という端的な欲求が。
 犬には負けるからと走るのを止める選手はいません。チータには負けても人は走る。男子に負けても女子は走る(などといったら不謹慎かもしれませんが)。0.1秒速く走るために、生活の全時間を捧げ平凡な人生を犠牲にして悔いない、世の中には、そんな人がいるわけです。男子にいるなら女子にも当然。
 で、ここでまた、ベン・ジョンソンのことが頭に浮かびます。(続く)