シーンとストーリー4

 ますます話が怪しくなります。

 「勝ち負けがあるのがスポーツ」、であるとするなら、いずれ本気になれば、とにかく勝ちたい、ということになるでしょう。で、そうなれば、強い選手あるいは強い選手やチームを育てたコーチの指導を受けたいと願うのは、(有効かどうかは別にして)自然のことといえるでしょう。ところが「強い」ということになると、女子より男子が強い。例えば42キロあまりを2時間20分ほどで走る男はめったに、いや、普通はいません。女子マラソンのランナーは実にすごい速さです。それでも、男子トップランナーはもう15分程速い。馬術とあと少しの例外は別として、男子女子同じ種目を比べれば、男子の記録が女子より上でしょうし、対戦種目なら男子が勝つでしょう。

 しかし、何故でしょうか。オリンピックの「種目」が、もともと兵士能力を競うものだからであり、男・大人・健常者が強いのは、兵士である男・大人・健常者向けの競技種目だから当然です。マラソンだって、戦争の伝令ですしね。(でも「100キロ水補給なし」だったら、先行する男子が脱水で脱落してゆき女子が勝つ、なんてことないでしょうか。ないか。)

 ということで、ますます話が怪しくなりますが、例えばです。こんな種目があったとします。「完全目隠しのポーターが、コックスと呼ばれるパートナーを背負い、その指示で、複雑な障害を避けながらコースを走ってタイムを競う」。もしもそんな種目があったとすれば、男女の規制などは一切なくても、多分、こんな実況になるのではないでしょうか。
 「いよいよブラインドダブル400メートル障害レースの決勝です。優勝候補ペアのポーターは、規定により目隠しをしていますが全盲ですので日常的に視覚以外の感覚が研ぎ澄まされています。背負われているパートナーは6才の少女で、体重が軽く、しかし障害を見分けて的確に指示を出すスキルは、予選で十分に示されています」・・・

 しかし、成人・男子・健常者ペアよりも、子ども・女子・障がい者ペアの方が多分勝つという、そんな種目を作れという声は聞いたことがありません。そうではなくて、槍を投げる砲丸を投げる水濠を飛び越えて走る弓を射る格闘する、そんな男性兵士種目と同じものを、女子もやりたい、「男子には勝てない」、でも「女子では一番になりたい」、というのがオリンピックです。

 ただし、それだけでは、多分ありません。(続く)