空気について 8

 もちろん、例えば日本がオワっても、さしあたり困らない連中がいる。正確には、困らないと思っている、ということなのだが。誰か忘れたが(というより覚えているべきような輩ではないし、彼だけではないが)、こんなことを言っていた。「格差社会というが、格差というのは金持ちと貧乏人の間にあるのじゃない。日本なんかに囚われずに世界に出てゆけるグローバルなスキルをもった行動人と、地方再生などといいながらローカルな日本で地道に沈んでゆく他ない者と。格差というのはその間にあるのだ」、と。
 自分は後者でしかないという不安が空気を吐き出す。東京弁は話せんし何の取り柄もないが、ここでなら何とかやってゆける。死ぬまで、ここでやってゆく他ない。
 才覚のある連中は都会に出て行って地元に人が少なく、逆に都会から来た大型店が地元の商店を潰す。(続く)

空気について 7

 よくいわれるように、一強といっても、有権者全体に対する自民党比例代表)得票率は17%でしかなく、新内閣に「憲法改正」を期待するのは5%しかない。もちろん侮るのは危険だが。
 また、確かに嫌韓言動はあちこちに溢れているが、韓流ドラマやK-POPは健在で、昨今では「オルチャンメイク」も加わって、「2019年もさらに韓国ブームが加速する予感…♪」などというフレーズさえある(ALINE)。
 それでも、「韓国オワタ」「中国オワタ」と言わずにはいられない。「14万円生活の奴らが終わってんだよ」といわずにはいられない。おそらく「韓国オワタ」は、「日本がオワタ」なんてことがあるものか」、と思いたい空気であり、「14万円終わった」は、「30万円の我々が終わるなんてことがあるものか」、と思いたい空気なのだろう。(続く)

空気について 6

 バブルの時代には「弱者に向けて鬱憤を晴らすようなエネルギーは皆無」だったのかどうかは知らないが、あり余るエネルギーは、チマチマ弱者などには関わらず、鼻息荒くエンパイアステートビルに向かおうかという、「とんでもなく気持ち悪い」(橋本治)時代だった。
 しかし、アメリカの属国となることで経済成長してきた国がアメリカを凌駕して「ナンバーワン」だと豪語する、そんなことを許すアメリカでは当然ない。というより、バブルそのものが、アメリカ経済の立て直しのために仕組まれたものであったから、たちまち夜郎自大の「経済大国」は転落してゆく。
 そして30年。これまでについては、「日本経済の低迷は人口減少や高齢化のせい」だというのは「多くの人が信じ込んでいる神話」(森永卓郎)だとしても、少なくとも今後このままでは、「これから本番」となる「少子高齢化と人口減少」によって、いずれ日本は、「低迷」どころか「消滅」してしまう(河合雅司)。
 
 いや違う。「日本オワタ」じゃなく、「韓国オワタ」「中国オワタ」。
 「日本が終わってんじゃなくて、日本が終わっているなんでことをいう奴らが終わってんだよ」(続く

空気について 5

 今日の「デイリー」新聞に、こんな記事があった。
 都内の企業に12年間勤務して手取りの月給が14万円だという会社員が「日本終わってますよね?」とネット掲示板に投稿」し、共感する声が続いた。ところが、それを受けて、「ホリエモン」がツイッターで、「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」と、「突き放すコメントをつぶやいた」ところ、「約6000件以上の「いいね」があり、リプライ欄には「自業自得」「なんでも人のせい、卑怯者」「自分の無能さを全て他人のせいにして」「なんも努力もしないで昇進できると思ってたのか」などと、~(当の)人物を非難したり、「有能な者にお金を出す。企業として当然のこと」「その人雇用してる会社がえらい」と企業側を擁護するコメントが多くを占めた」、という。


 大して豊かでもないのに、「ナンバーワン」などといわれ、「日本ひとつでアメリカが4つ買える」などと舞い上がっていたおバカな時代もどうかしていたが、一面では、「今のようにヘイトスピーチ生活保護バッシングなど、弱者に向けて鬱憤を晴らすようなエネルギーは皆無でした」、と山口二郎氏はいう(面倒なので失礼ながら以下全て出典は省略)
 しかし、そんな時代は遠く去り、いま、少なからぬ人々が、中途半端な<成功者>ホリエモンに「いいね」をつけて、「14万円」は「努力しない」「無能な」「卑怯者」の「自業自得」だとバッシングする。おそらく、自分は「努力する」「有能な者」であると思っている人々なのだろう。全部がそうかどうかは別として。
 とはいえ、もちろん、「努力する有能者」だと自認したところで、多くは<成功者>にはほど遠く、「世の中(日本)、うまくいっている」とは言い切れない、信じきれない。そうであればこそ、「いや、世の中(日本)はうまくいっている」、と言ってほしい。「日本が終わってんじゃなくて、日本が終わっているなんでことをいう奴らが終わってんだよ」、と言ってほしい。自分もバッシングに乗って、安心したい。(続く)

空気について 4

 「公正」「正常化」といわず、もっと大雑把でいい加減にいえば、なるほどこういう社会心理はあるかもしれない。
 <どうも、世の中が、世界が、うまくいっていないようにも思えるのだが。いやしかし、これでもうまくいっているのだろう、そう思いたい>。
 不安とその自己抑圧、とでもいうか。仮説とかバイアスとかいっても、もちろんいいのだが。
 しかしそのうち、<これでもうまくいっているのだろう>と自らをごまかすことが、たぶんできにくくなってゆく。それでも、<もしもほんとにうまくいっていなくとも、何とかうまく戻せるだろう>と思えるのなら不安はまだ浅い。ところが、やがて、<どうやら、もはやうまく戻せる道もないのかもしれない>、と、不安がさらに深まってゆく。
 それにしても、いつ頃から私たちは、「どうも、世の中、うまくいっていないようだ」、と思い始めたのであろうか。少なくとも、安倍の「とりもどす」は既に、「世の中(あるいは日本は)、うまくいっていないようだ」という心理の存在を前提としたアピール戦略だった。
 安倍自身は、「戦後レジーム」そのものがダメだった、「戦前」を取り戻せ、とアピールしたかった(したい)のかもしれないが、安倍を勝たせた私たちの「取り戻せ」は、おそらくそこまでは遡らない。
 <よかった時代>は、漠然と、<日本ナンバーワン時代>ではなかっただろうか。(続く)

空気について 3

 「公正世界仮設」と「正常化バイアス」というのは、なかなか分かりやすい。
 ただし、すこし微妙な話になるが、

   その「仮説」や「バイアス」というのは、
 1)世の中の「理不尽」や「被害」に、つまり「非公正」「異常」な現状に気づきつつ、
 2)しかしそれでも、世の中は「公正」で「正常」だと思う、あるいは、思おうとする。
ということであるようだ。

 で、このような社会心理が、ある時期から強く働いて、ある種の「空気」を生み出したした、ということなのだろうか。つまり、「現在の政権や社会状況に対しても、「公正世界仮設」と「正常化バイアス」が作用して」、その結果、嫌な「空気」が「いま日本を覆っている」、と。
 例えば、辺野古基地建設は「どう考えても中止すべきだ」と思うが、TVで基地問題をやると視聴率が悪いらしいのは、「考えても無理だから考えたくない」という心理が働き、沖縄に対して無意識に罪悪感を感じるからこそ、基地問題は「見たくない」、「あれは間違っていない、基地は賛成だ」、などとなったりする。つまりそれが「空気」だ、ということだろうか。
 
 ところが、細かいことをいい過ぎるが、中村氏は、少し違った言い方もする。
 
 「2011年の東日本大震災」は・・・、「人々の「公正世界仮設」も「正常化バイアス」も、完全に崩すことになった震災だった。その時の「ストレス」がまだ尾を引いていて、原発問題をきっかけに社会問題に関わる人が増えた一方、それ以上に、「もう考えたくない」という心理も増えたように感じる。気持ちはよくわかる。」
 
 「いま日本を覆っている不吉な空気」は、「公正世界仮設」、「正常化バイアス」によって生み出されたのか。あるいは、それら「仮説」「バイアス」が完全に崩れた、その「ストレス」によって生み出されたのか。
 もちろん、これは逆に見えて、逆ではない。細かいところにこだわるつもりはない。
 確かに、2011年の大災害は、私たちの社会心理に大きな衝撃を与え、通常の「仮説」や「バイアス」を「完全に崩す」ことになったし、また、いわゆる「右傾化」と呼ばれたりする「空気」をはっきりと出現させたのは、2012年の安倍一強政権の成立以降である。

   けれども、「いま日本を覆っている不吉な空気」とやらは、ここ10年足らずの間に、日本列島の上空を漂うことになった雲、というよりは、もっと以前から、もっと広く広がっているのではないだろうか。
 まあ、そんなことも、私がいわなくても、少なからずいわれていることであるが。(続く) 

空気について 2

 もちろん、「空気」という語を使わなくても、世の中を嫌な何かが覆っている、と感じている人も、そう指摘する声も、少なくはない。けれども、その嫌な何かは、「空気」といわれるだけあって、とにかく正体がもうひとつ明確ではない。「右傾化」などという人もいるが、そういうだけでは、ただの表面描写にすぎない。
 例えば、「空気」の一端を担っているネトウヨ的ヘイト言動は、格差社会の下層に落とされた若年貧困層が、自らの憤懣を、外国人やより下層の人々に向けてぶつけたものだ、というようなことがいわれたりもした。しかし、それよりむしろ、真面目な中堅正社員層にネトウヨが多かったりする、という指摘があって、どうもそうらしくもある。

 前に引用したように、田原氏は、「空気」の出現というか成立について、このような道筋をつけていた。すなわち、野党が弱く「一強多弱」という政治状況が →与党内でも政権に何でもイエスという事態をもたらし、そのためチェック機能が働かず →それがメディアに影響を与えて →政権批判をタブーとする「空気」が広がっている、と。
 そうかもしれないし、とにかく、元凶を「一強多弱」に見て、その打破をターゲットにしようという姿勢は、政治ジャーナリストとして誤りではないだろう。
 けれども、例えばその「一強多弱」にしても、それが「空気」を醸成したといえるのかもしれないが、しかし逆に、「空気」が「一強多弱」を生み出した、ともいえる。大体、「空気」なのだから、何か明確な発生源があって、そこから広がっていったのかどうかも怪しい。 
 
 さて、田原氏は、2012年から始まった「一強多弱」に注目したのだったが、中村氏は、前年2011年の東北大震災と原発大事故に注目する。
 
 「この国の「空気」」
 そうタイトルを付けたエッセイで、中村氏は、「いま日本を覆っている不吉な空気」を、二つの心理学用語から推定している(『自由思考』河出書房新社)。

 「公正世界仮設」という心理学用語がある。
 基本的に人は、この世界は安全で公正な世界であって欲しいと望む心理のことになる。何も悪いことをしていないのに不幸になったり、理不尽な目に遭う社会では不安で仕方がない。だからそうではない、と願いたくなる。
 これが行き過ぎると、被害者批判、に結び付くと言われている。この世界は公正で安全と思いたいから、何かの被害者が発生すると、それはあなたにも落ち度があったのでは、という心理。社会制度などのせいではなく、個人の過失に還元してしまう心理と言われている。
 いま日本を覆っている不吉な空気の一つに、これがあるように思う。 ~
 「正常化バイアス」という用語もある。公正世界仮設と似ているが、元々は、災害などで、大丈夫と思いたい心理から、避難が遅れる現象を指す。現在の政権や社会状況に対しても、「公正世界仮設」と「正常化バイアス」が作用しているように思う。
 
 そして中村氏は、「いま日本を覆っている不吉な空気」の理由の一つは、東日本大震災にある、というのである。(続く)