空気について 3

 「公正世界仮設」と「正常化バイアス」というのは、なかなか分かりやすい。
 ただし、すこし微妙な話になるが、

   その「仮説」や「バイアス」というのは、
 1)世の中の「理不尽」や「被害」に、つまり「非公正」「異常」な現状に気づきつつ、
 2)しかしそれでも、世の中は「公正」で「正常」だと思う、あるいは、思おうとする。
ということであるようだ。

 で、このような社会心理が、ある時期から強く働いて、ある種の「空気」を生み出したした、ということなのだろうか。つまり、「現在の政権や社会状況に対しても、「公正世界仮設」と「正常化バイアス」が作用して」、その結果、嫌な「空気」が「いま日本を覆っている」、と。
 例えば、辺野古基地建設は「どう考えても中止すべきだ」と思うが、TVで基地問題をやると視聴率が悪いらしいのは、「考えても無理だから考えたくない」という心理が働き、沖縄に対して無意識に罪悪感を感じるからこそ、基地問題は「見たくない」、「あれは間違っていない、基地は賛成だ」、などとなったりする。つまりそれが「空気」だ、ということだろうか。
 
 ところが、細かいことをいい過ぎるが、中村氏は、少し違った言い方もする。
 
 「2011年の東日本大震災」は・・・、「人々の「公正世界仮設」も「正常化バイアス」も、完全に崩すことになった震災だった。その時の「ストレス」がまだ尾を引いていて、原発問題をきっかけに社会問題に関わる人が増えた一方、それ以上に、「もう考えたくない」という心理も増えたように感じる。気持ちはよくわかる。」
 
 「いま日本を覆っている不吉な空気」は、「公正世界仮設」、「正常化バイアス」によって生み出されたのか。あるいは、それら「仮説」「バイアス」が完全に崩れた、その「ストレス」によって生み出されたのか。
 もちろん、これは逆に見えて、逆ではない。細かいところにこだわるつもりはない。
 確かに、2011年の大災害は、私たちの社会心理に大きな衝撃を与え、通常の「仮説」や「バイアス」を「完全に崩す」ことになったし、また、いわゆる「右傾化」と呼ばれたりする「空気」をはっきりと出現させたのは、2012年の安倍一強政権の成立以降である。

   けれども、「いま日本を覆っている不吉な空気」とやらは、ここ10年足らずの間に、日本列島の上空を漂うことになった雲、というよりは、もっと以前から、もっと広く広がっているのではないだろうか。
 まあ、そんなことも、私がいわなくても、少なからずいわれていることであるが。(続く)