ガザ 皆殺し

 ガザで起こっているのは、戦争ですらない。皆殺しである。人は、躊躇なく幼児を殺せるほど、何故かくも愚かなのか。
 しかし、そうではない。    
 縄ばりに侵入した敵を全力で攻撃する獣や鳥や魚は、相手が背を向ければ殺しはしない。しかし智慧の実を食べた人間は、明日のことを考える。報復のリスクをゼロにするには、背を向けた敵を殺すのが正しい。漁師は小魚を逃がし、猟師は子連れを逃がす。絶滅のリスクを考えるからだが、その同じ智慧で、絶滅させたい雑草は根から抜き、絶滅させたい敵の幼児は殺す。根切、三光、ジェノサイド。「正義」の軍は、一人のゲリラが逃げ込んだかもしれない村に火を放ち、全員まるごと焼き殺す。森を愛するナウシカは、一本の樹に胞子が侵入したことを知ると、賢明にもその森を焼き払う。
 愚かさと狂気ではなく、智慧と「正義」が、幼児を殺す。

創るのはAI

 ChatGPTが、ようやく大きな話題になってきた。テキストだけでなく、音楽も画像も、音声も動画も、AIが「創る」時代。そんなAIを、とりあえず誰もが、自由に(フリー無料で)、また自由に(自然言語で)使える時代になった。
 ディープラーニングで自ら学習成長する力をもったAIは、自ら「創る力」をもった。
 もちろんまだまだ欠陥も少なくないようだし、何より使う側の社会的環境の不整備が強く危惧されている。それでも、時代の動きは、だれも止めることはできない。
 「神の時代」には、創造するのは神だけだったが、いま「人間の時代」に創造するのは人だけだ、という向きが少なくない。けれども既に、神は死んだとニーチェがいった後、フーコーが人も死んだと宣言した。人の創造とは引用とアレンジに他ならないと見抜かれて久しい。
 で、どうなるのだろうか。
 どんな技術もそうだったように、「創る」AIもまた、結局のところ権力と金に使われることになるだろう。権力も金もない誰もが、ひとときの遊びを遊んでいるいまが、黄金のエデンなのかもしれない。

絶望と除名

 昨日は統一地方選共産党が一人負けで、あれだけ問題のある自民党は、ほとんど議員数を減らさなかった。                                              

 投票締め切り時間前に、たまたま本屋に寄ったところ、棚に『自民党という絶望』という新書(宝島社)があった。1月に出たらしい。「保守の”コスプレ”、売国政治の正体!」という帯がかかっていて、目次を見ると、章ごとに、白井聡らのインタビューがまとめられている。              
 で、最初の章が、石破茂

 党外の本で党首公選制を主張したことを理由に、ベテラン党員2人を相次いで除名処分した志位共産党。一方、「自民党という絶望」「売国政治!」という本のトップに石破茂が登場する自民党
 まあ、強いわけだ。自民党という絶望。

戦争に近づきたい

 昔、名のある侍は、仇の侍が果し合いに「着手」して笠の緒を解いても、そこですかさず斬りかかるような、卑怯な先制攻撃は絶対しなかった。相手が「先に」刀を抜いたのを見てから、悠然と刀を抜き合わせて、そして斬った。
 昔の名のあるガンマンも、宿敵の男が決闘に「着手」して拳銃ベルトを腰に巻こうとしたとたんに撃つような、卑怯な先制攻撃は絶対しなかった。相手が「先に」抜く動作に入った瞬間に、素早く銃を抜き返して、そして撃った。
 先制攻撃をしないというのは、相手に「先」を取らせる、ということである。相手に「先に」斬りかからせ、引き金に指をかけさせて、それでも悠然と、あるいは瞬間的に、切り返し、自分は無傷のまま相手を斃す。それが「後の先」の極意である。

 しかし、ミサイルではどうか。
 ミサイルでは、相手に「先」は譲れない。どころか5分や10分こちらが「先に」撃ったとしても、敵ミサイルはこちらに飛んで来る。基地攻撃でこちらを「守る」には、明らかな先制攻撃しかありえない。政府はそこをごまかしている。
 それにしても、いつ、敵基地を先制攻撃するのか。相手基地に何か動きがあったとしても、実験の着手かもしれないし訓練の着手かもしれない。しかしそれより何より、そもそも「動きがあった」とどうして分かるのか。分かるのはアメリカ親分だけである。親分から報せが入る。「わが軍の高性能監視衛星の情報によれば、奴は今、あくびをして長椅子に寝転んだ。わが軍の超高度情勢分析によれば、奴は30分ほど昼寝をしてから起き上がって大砲をぶっ放す。昼寝が「着手」だ。チャンスは今だ。撃て撃て!」。「アイアイサー」。」

 いま、政府与党や国会では、べらぼうに高価な基地攻撃ミサイルを、どう工面して払おうかという、金の議論に終始している。戦後の自制を次々と反故にし、戦力を一挙に増強して基地攻撃にも打って出ようということについては、過半数の人々が既に容認しているからである。より強い平和のための発言力を持てば、ではなく、より強い攻撃戦力を持てば、より強く守れると思っているようだ。政府与党だけでなく、多くの人々が、北朝鮮と同じ道を「民主的に」選択して、進んで行くらしい。

単純な戦争が喝采される

 まあ、そうは書いたが、何もガンジーのような非暴力抵抗から一歩も踏み出すべきではないというつもりはない。いや、「平和教育は間違いだった」なんて生意気をいう子どもには、ガンジーの伝記でも読めと勧めたいが。それでも、正直いってガンジーより例えばチャンドラボースの方が、マンガやアニメではヒットするだろう。ムッソリーニヒットラーも東条もスターリンも利用して、とにかくイギリスとの独立戦争を闘い抜こうとした波乱万丈の戦争マンガ。

 しかし、ドラマを書く時困るのは、「早く解決してくれ」という、せっかちな読者、観客だ、と町田康がいっている。

 「ドラマの中で悪人が悪人なのは悪いことをするからで、善人が善人なのは善いことをするからである」。「悪人は何の説明もなく絶対的悪として登場。同じく善人は絶対的善として登場する」。「もちろんこれは現実とはもってもかけ離れている。なぜなら、現実においては、絶対善や絶対悪は存在しないからである。しかし、もっとかけ離れているのは、問題の解決の仕方で、現実の問題は、そんなに簡単には解決しない」。ところが、「こらえ性のない観客はつねに事態の早い解決を望むので」、「一気に問題を解決して」ほしい。「すなわち、絶対的善である英雄はさしたる説明もなく悪人を殺してしまうのである」。で、「一般的な観客は、これに喝采を送」る。(「ちょっと思ったこと」<「おそれずにたちむかえ」)

平和教育は間違っていた

 先日、新聞の投書欄に、子どもの声が載っていた。

 これまで、学校でも家でも、大人たちから、「戦争は絶対ダメ、とにかく平和が一番」、と教えられてきた。でも、そんな平和主義教育は間違いだった。ウクライナの人々は戦っている。世界がウクライナの「戦争」を応援している。私も、うんぬん。

 まあ、純真な子どもにとっては、当然そういうことになる。「ゼレンスキーも悪いんじゃないのか」などというには、森元首相レベルまで世間からズレてしまった老人にならなければならない。
 2度目の世界大戦が終わった後もいくつも戦争があったが、今回ほど、「戦争する国」を支持する声、その国の「戦争」を称賛し応援する声があふれたことはない。余りにも称賛し過ぎて、昨今では少しばかり声枯れ現象が起きている程である。
 侵攻してくる「悪」に立ち向かう「自衛」の戦いは絶対正しいとなれば、絶対平和主義は間違いだと、子どもでも分かる。北ミサイルから「防衛」するために増税してミサイルを持ち、悪の基地を叩くことは正しい、と。
 そういう物騒な政府与党の目論見に、例えば日本共産党は立ち向かう。軍事強国化に反対し、とりわけ9条を含む改憲に断固反対するのは、共産党だけである。その共産党も、昔、新憲法案を審議する国会では9条に反対し、防衛のための軍備と交戦権は国家自立の根幹だと主張した。(ちなみに、それに対して新憲法提案者の吉田首相は「あらゆる戦争は自衛の為だと称して始まるのでありまして」と、9条を擁護し、でもすぐに再軍備に舵を切ったのだった)。また今の共産党も、日米安保破棄と違憲自衛隊解体という基本態度を堅持し9条改憲に断固反対しつつも、連合政権の一翼を担う場合には、さしあたり自衛隊の解体はいわずに、防衛に活用もするそうである。断然平和主義憲法を守ろうという人々にとっても、自衛のため防衛のための戦争は正しいのであろう。
 地球防衛軍は正義の軍である。学校でも家でも、大人たちから、「戦争は絶対ダメ、とにかく平和が一番」、と教えられてきた子どもは、ウクライナ戦争のニュースを見て、平和主義教育は間違いだったと納得し、次の番組で、宇宙人や怪獣や鬼から地球や国や家族を「防衛する」正義の戦争を応援する。

侵略、占領、併合

 侵略戦争は悪い(間違った)戦争で、祖国防衛戦争は良い(正しい)戦争であるというのは、まあ、その通りである。実際には、どんな戦争でも、双方が共に、相手がこちらの国家生命を脅かす侵略者で、こちらは自存自衛の防衛聖戦だと主張するので分かりにくいのだが。

  そこで分かりやすく、例えば国境を越えて軍事侵攻した方が侵略国だと決める。そうなると明らかに、ウクライナに軍事侵攻したロシアは侵略国であり、イラクに軍事侵攻したアメリカは侵略国である。もちろん他にも、自国外に軍隊を出した国はたくさんある。
 しかし、ロシアがもっと悪いとされるのは、軍事侵攻しただけでなく、占領地を自国に併合してしまったことである。イスラエルガザ地区の占領を何十年も続けて入植者を送り込んでいるように。

 そういえば、かつて琉球という美しい国があったのだが、先ず島津が軍事侵攻して属国にし、大和が併合して県にしてしまい、さらにアメリカが占領し、今は、形式的に日本が併合して、事実上はアメリカが占領し続けている。