漱石 1911年の頃 番外3-2:アラサー

 「先生」は、帝大に進んで、お嬢さんのいる下宿に入りますが、菊田氏は、「当時先生は二十四、五歳になっていたはずである」と書いています。けれども、教育制度史には不案内ながら、その頃の東京帝大生のストレート・モデルでは、20才か21才入学としてもよいようで、実際にはむしろ、前回挙げた人たちのように、96年〜99年に19才、20才と、さらに若い入学例もあったようです。となると問題は、先生はストレート入学だったかどうか、ということになります。どうでもいいことですが、遊びといういうことで。
 先生は「新潟県人」ですが、「廿歳にならない時分」に、父と母を、急性の病で「ほとんど同時といっていいくらいに」亡くします。すでに「両親の許可を得て、東京へ出るはずになってい」たので、母は叔父に「この子をどうぞ何分」「東京へ」といい残し、「叔父はまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。私は東京へ来て高等学校へはいりました」、とあります。「廿歳」は「数え」ですから、「廿歳にならない時分」というのは数えの十九才か十八才。両親は長く患ったのではなく、叔父もてきぱきと世話してくれたようですから、数え十九才の夏に、予定通りストレートでゆけた可能性もあるでしょう。となれば17か18才。1年遅れたとして18か19才。
 そして先生は、上京高校入学後は順調に進学し、「3度目」の夏に帰国して叔父と決裂して、その秋に大学に進学して家を探す、ということになります。ということで、ストレート・モデルなら20才か21才、高校入学前に1年遅れたとしても、21才か22才です。
 とはいえ、文庫本に解説を書く程の方が、「当時先生は二十四、五歳になっていたはずである」と書かれているのですから、何か見落とした理由があるのかもしれません。う〜ん・・・などと思ったところへ、たまたま俗名が(^o^)藪野直史さんという方のブログに、問題の家の推定間取り図を発見し、それが大変素晴らしくて、いつか是非ご紹介させて頂きたいと思ったのですが(今すぐなら(こちら)を直接ご訪問ください)、この方が、先生が下宿してお嬢さんに出会う時期と年令について、こう書かれています。
 「なお、私はこれ(先生とお嬢さんの出会い)を明治31(1898)年頃で、先生は満20歳、靜は16〜17歳と推定している」。おお、これは力強い。「98年頃」で「満20歳」、というのですから、菊田氏とは違って、ストレートならピッタリじゃないですか。
 ただし、ここではたと気付いたのですが、菊田氏の「二十四、五歳になっていたはずである」の根拠は、以上のようなことではないかもしれません。「20才? そんなものは小賢しい計算結果に過ぎない。文学的イメージとはそんなものではない。漱石は、自分の帝国大学文科大学に入学した数え24才、満23才という年令を思い、「奥さん」に「静かな人、大人しい男と評」され「勉強家だとも褒め」られる「先生」に、あと少し加算した筈である。24,5才になっていた筈というのは、文学的イメージの必然性であって、当時の制度がどうとかいうような、小賢しい計算の話などではない」、とか(^o^)。まあ、もしそういう風にいわれてしまうと、藪野さんともども?「ハハァ」と平伏する他ありません。
 ついでに、先生より若く、小説中では浪人や落第の気配がない「私」の卒業も、上記のストレート・モデルなら「23,4才」になるはずですが、菊田氏は、「「私」が大学を出たのが明治四十五年(大正元年)であったのだから、そのとき「私」は二十五、六歳と考えてよい」、と書かれています。それも文学的イメージの問題かもしれませんので、素人の口出しはやめておきましょう。というか、いずれにしても年令などは、どうでもいいといえばそれまでですがね。「番外」の遊びです。
 さて、残る最後の難問は、お嬢さんの年令です。その前に、吉永、藪田の両氏は、「お嬢さん」「奥さん」と小説通りに呼ぶか、あるいは「静」と名前を使っていますが、菊田氏は、「下宿の娘」あるいは「娘」扱いです。ということで、菊田氏はそんな「下宿の娘」の年令などは無視ですが、藪野氏の方は、先ほどの引用のあと、「私は〜先生は満20歳、靜は16〜17歳と推定している。即ちお嬢さんの出生は明治14(1881)年前後となる」、と書かれています。
 帝大に入学したばかりの若々しい20才のエリート青年が下宿することになった家には、16,7才の美しいお嬢さんがいた。二人のの出会いと恋の予感・・!! ドラマですねえ・・・
 と、このままにしておきたいのですが、無粋で申し訳けありませんが、これについても、少し本文をみてみましょう。
 お嬢さんの年令は、イメージ的には確かに16,7才としたいところなのですが、さて証拠となると難しい。私の知る限りで唯一の手がかりと思われるのは、先生とKの「二人とももう後一年(で大学卒業)だといって」奥さんが喜んでくれた時期に、「お嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていた」とあることです。卒業前年の初秋くらいにこう話したのだとすれば、先生が翌年6月に大学を卒業する同じ年の3月に、お嬢さんはどこかを卒業するということなのでしょう。ところが、お嬢さんの「卒業」といっても、「学校」とあるだけで、それが何才から行く何年制の学校なのかが分かりません。小石川には跡見女学院が開校していますし、他にも通える女学校はあったでしょう。お嬢さんの「学校」はどこかという研究もあるのかもしれませんが、もちろん知りません。
 書き忘れましたが、この時期の「6533」制は男子だけです。13年に東北帝大が、女子学生を入学させたところ、文部省が「元来女子を帝国大学に入学せしむることは前例これ無きことにて頗る重大なる事件にこれあり大いに講究を要し候」云々との書簡を大学に送ったとのこと(→こちら)。
 男子の中高に対応するのは、12才で入学する5年または4年制の高等女学校ですが、ちょうど制度確立の微妙な時期で、お嬢さんは高女卒、とも確定できません。が、もし高女かそれに相応する学校だと仮定すれば、卒業は16才か17才ということでしょうか。となると、先生と出会ったのは、3年前ですから、13才か14才、現在なら中学2年生、もしかすると1年生! です。現在とは事情が違うとはいえ、これはちょっと若い、というか幼いですね。しかし思えば、16,7才のロミオと出会い「ああどうしてロミオなの」と気障なセリフで翌日結ばれすぐに死んでしまうジュリエットは僅か13才。二人の実に無謀なおませぶりに比べれば、先生とお嬢さんの場合は、はるかに慎ましく幼い出会いですから、20才と14才のカップルでもよいのかもしれません。
 もちろん、もっと年齢をあげることをお望みならば、例えば、父親の死から2,3年は、学校など考える気持ちの余裕もなく、でもやがて母親が、「こう落ち込んでいても仕方がないねえ。思いが残るけどこの家も引っ越すことにしようか。お前も女学校へ通うかい」、といった、というようなドラマにすれば、先生との出会いは16才でも17才でも、自由に設定できます。
 というわけで、仮定に仮定を重ねた小賢しい計算といわれそうですが、一応全部が繋がりました。例えば・・・
 先生が大学に入学し、下宿してお嬢さんと出会うのは、98、9年の秋で、その時先生は21才前後、お嬢さんは14才か少し上。もちろんこれがピッタリ正しいなどという気は毛頭ありませんが、「頃」とか「前後」をつければ、大体その辺に落ち着くでしょう。となれば、先生の大学卒業時点では、先生24才前後で、お嬢さん17才か少し上、そして二人は、24才と18才辺りの年に結婚した、と、仮定と推定ながら、大体そんな年令になりそうです。
 思わず長くなりましたが、あと、私が先生と鎌倉で知り合ったのは、「私はまだ若々しい書生」だった頃の「暑中休暇」中でした。高1を終えて高2になる時か、その翌年か。後を読むと、その秋から月に2,3度先生宅を訪問し、先生夫婦は時々音楽会や芝居に行くことを知り、2,3度以上旅行先から絵葉書をもらい、さらに、夫婦間のことに立ち入る質問もするようになって、「その時の私はすでに大学生であった」とあります。鎌倉で知り合った夏が高3だとすると、大学1年生までにそれだけの付き合いをするには短かすぎますから、高1を終えた夏としておきましょう。
 だとすると、私は高校も大学も順調だったようですから、逆算して、鎌倉で先生と知り合ったのは、07年夏になります。その頃、可能性が高いのは、先生28才、奥さん22才、奥さんを「美しい」という私は18才、の前後。そして、先生の死は33才頃で、残された奥さん27才か少し上、遺書を受け取った私は23才、のそれぞれ前後。
 どうでしょうか。私もそうですが、おそらく『こころ』読者の多くは、菊田氏と一緒に、先生と奥さんを、もっと年上のイメージで読んだのではないでしょうか。もちろんこれは小説でしかありません。それぞれの文学的イメージで読んで大いによいわけですので、訂正を要求などするつもりは全くありません。「番外」の遊びです(くどいっつーの(^o^))。
 けれども、逆にまた、世に流通するイメージや、えらい人の解説にとらわれる必要もまたありません。素人の遊び推定ではありますが、ご参考までに、ありうる計算結果でいうならば(大きな見落としがなければですが(^o^))、先生の死の年には、お嬢さん=奥さんは20代。藪野氏に荷担して、出会い時に中学生というのを避けて3,4才加えても、まだ30才。
 何度も書きましたが、研究者じゃなし、何年かの違いを追求すること自体が目的ではありません。けれども、余計なお世話ですが、深刻で陰鬱な男のドラマとして読むのはもちろん結構ですが、折角の漱石、それだけではもったいない。イメージを少し拡げてみてもいいのじゃないでしょうか。奥さんは「アラサー」、もしかするとまだ20代の可能性あり! そう思えば、吉永みち子さんじゃありませんが、まだまだこれからです。(本編に続く)