1897年-21:実業の時代

 そこで、もう一度『金色夜叉』に戻る。
 先にみたように、『金色夜叉』は、地位より金が、官吏より資産家がものをいうようになりつつある時代の流れを写している。鴫沢のような官吏を「知れたもんんだ」というのは富山である。だが、富山の家は「資産家」といわれて、「実業家」とはいわれていない。資産で創業した富山銀行は、<もって>いるカネを<貸して>利を稼ぎ、その金でダイヤを買う。復讐に燃えてカネの夜叉となった貫一もまた、「高利貸」つまりカネ貸しである。
 一方、代助の兄のような「実業家」は、カネを資産としてもっているのではない。彼が経営に加わっている「会社」は、必要ならばカネを銀行から<借りて>でも、物を作ったり売り買いしたりして利益をあげる。
 こうして、紅葉は、金がものをいう時代への転換を捉えながら、そのカネを資産として見るだけで資本として見ることができていなかった。その意味で、なお、時代の主役交代を充分に捉えきることができていなかった、といわれたりするわけである。
 その評はともかく、確かに、実業の時代になろうとしていた。
 問題にしているこの年1897(明治30)年は、経済雑誌『実業之日本』が創刊された年である。

 *おまけ:今日は短いので、有名な場面の絵をつける。
 左の、武内桂舟による挿絵は、躍動感があり素晴らしいが、貫一は靴を穿いており、<一般的なイメージ>からすると、ちょっと異質な感じがする。その点、右の熱海海岸「貫一お宮之像」は、ちょっと分かりにくいが貫一の高下駄といいお宮の髪型といい、より<一般的なイメージ>に近い。ただこの2人には(例えば宮の視線、指先)どことなく<演技>を感じないだろうか。『金色夜叉』は、新派劇の代表的演目となり、また繰り返し映画化される。この像は、小説そのものよりむしろ新派の舞台や映画の銀幕を通して作られ定着していった貫一お宮の<一般的なイメージ>を写しとった像だといってよいだろう。
 これ以上話をややこしくしたくはないが、実際には、富山のモデルは、共同印刷(博文館)創業者つまり「実業家」の息子であるという説があり、また、堀啓子氏という研究者によって、種本である西洋小説が確認されたという。間貫一が「実業家」ではなく「高利貸」であるのも、単純に<紅葉の古さ>を表すのではなく、もしかすると彼もまた、当時の読者の<一般的なイメージ>に即して、より端的に「金色夜叉=カネの鬼」にふさわしい人物像を選んだのだったかもしれない。(と、長くなってしまった)。