格差の時代

 選挙の季節である。東京では、外山恒一氏という、失礼ながら泡沫候補が、「革命家」と称して出馬した。You Tube で演説を見たが、独特の声で「少数者諸君!」と呼びかけていた。昔の「革命家」が呼びかけたのは、プロレタリアートという「多数派」であったのだが。
 すさまじい勢いで、格差が拡がっている。富者はますます富み貧者はますます貧しくなる。そのことが競争的活力の名の下に現代の正義となり、<ウサギ小屋でも一億総中流>とか<談合でも護送船団>とかいう時代は、不正義の時代と叩かれる。
 今日の新聞(朝日12日)記事に「広がる格差・分裂加速」という見出しがあった。ドイツの49才の男性が、30年勤めた銀行を解雇され、やっと見つけた高級ホテルの客室掃除係の時給が、円にして300円(!)。「いったん貧困に落ちるとはい上がれない。私が掃除した豪華客室はいつも満室だった。同じ人間なのに・・・」。
 新聞を閉じてテレビを点けた。身体が全く動かず犬と暮らしていた孤老人が、市営住宅に住み続けるなら犬を処分しろといわれ、泣く泣く犬と一緒に立ち退いたところ、さらに、犬と暮らすことを選ぶのは贅沢だから生活保護を打ちきるといわれた。市役所の福祉係いわく、「公平性(!)を保つための処置だ」。
 毎日毎日働きながら何とか「人並み」に暮らす社員の江分利氏は、もちろんできれば富裕層になりたいが、それよりずっと大きいのは、「人並み」層から転落しないかという不安である。
 企業に有利で、経営者を喜ばせ富裕にする法案に、彼はもちろん賛成する。富裕層との格差がさらに開くかどうかより何より、企業の業績が落ちて自分が失業転落する危険が近づくのが一番怖い。
 一方江分利氏は、最貧層への福祉をもっと手厚くしようという法案に賛成ではない。何とか「人並み」の暮らしを維持するために、毎日毎日身体に鞭打ちながら働いているのだ。給料から引かれる高い税金で、何もしていないあんな連中にも自分と同じ「人並み」の暮らしをさせるというのは、納得ゆかない。
 世の中は、<少数の富裕者vs多数者>ではなく、<多数者vs少数の最貧者>という構図になっている。こうして、現代の「革命家」は、「少数者諸君!」と叫んで、失礼ながら泡沫に終わる・・・