漁船は蹴散らせ

 しばらく書かないうちに、一ヶ月以上が過ぎた。再開しようと思うが、「続く」と書いた記事はつまらないのでやめる。大ニュースがなかったのだろうが、正月早々原発応援新聞の1面いっぱいに発電風車事故多発前途暗雲といった記事が出たのがきっかけだったが、例えば冷蔵庫は、数年前のものと比較してCO2廃棄量が倍に増え電気代は半額になったのだから、くだらぬ勘ぐりなどしている暇があれば冷蔵庫を買い換えよ、という結論で納めよう。
 さて、小川原正道『西南戦争』という新書を読んだ。分かりやすくバランスのとれた概要通史で、勉強になった。以下は、その本の本筋とは関係がないが。
 遂に城山での決戦となった前夜、死を覚悟した西郷らは訣別の宴を開いて飲み且つ謡ったという。諸将は洞窟にいたらしいから、宴会場も狭い洞窟だったのだろう。覚悟の酒は、城山要所に散開していた筈の兵卒全員にもゆきわたったのだろうか。
 熊本城を遂に攻め落とせなかった薩軍は、以後、官軍に追われ、弾丸なく食糧なく山中の泥道を転戦してゆくのだが、西郷は、時に兎狩などをしている。預けられた西郷の生命と身柄を、薩軍は絶対弾丸にさらすことはできないから、たとえ望んでも、西郷は前線に出られない。もともと健康運動の意味で勧められたという話もあるらしい兎狩を陣中でしたからといって、特にどうということはない。
 レーニンかトロツキイか、昔読んだことなので怪しいが、「今夏は狩に行きましたか」などと手紙に書いていて、ほうと思ったことがある。そういえば故宮本顕治氏も昔ライフル所持が発覚し、狩猟が趣味で何故悪いといった。といっても、革命と狩はどこか似ているといった話ではなく、単に、狩猟は、ゴルフ以前には紳士向けアウトドア・スポーツの代表だったというだけのことである。勿論、紳士ならぬ庶民には手がでない趣味ではあるが。
 閑話休題、軍隊という集団は、非戦闘員を多く含んでいる。荷駄運びの人足もいれば大将の妾などもいる。薩軍には、家族連れの兵士もいたらしい。で、そういう非戦闘員を除く戦闘員が、撃ち合い殺し合いをするのであるが、それがまた2種類に分かれる。将と兵卒、率いる者と率いられる者、殺せと命じる者と命じられて殺す者である。兵士にとっての戦争は殺し合うことであるが、将にとっての戦争は、コマである兵士を動かして殺し合いゲームをすることである。
 コマは消耗するので、補給しないといけない。挙兵した薩摩士族にも既に諸層あり諸類があるが、そこに他藩士族も加わり、士族以外にも共鳴者らが自主参加して、合わせてかなりの軍勢となった。しかし激戦を重ねると死傷あり離脱ありでコマが減ってゆく。そこで募兵をし、さらに徴兵もしたようである。たとえ西郷を敬愛しているとしても、徴兵となると別である。一旦入隊すると、逃げられない。
 陰惨極まりない餓島ガダルカナルでも白骨街道インパールでも、無念の骨を晒したのは徴兵された兵士であって、ゲームをした将、参謀は当然のように生き残り、戦後は年金をもらい、何と議員になったりもした。そういう連中に比べれば、玉砕した司令官らはマシとはいえるが、彼らも前夜、洞窟の司令部で、芸者ガールと高級ウィスキーで覚悟の宴会をしたのであった。玉砕司令官の至誠や西郷の至誠にケチをつけようというのではない。ただ、軍とは、どう転んでも、そういうシステムなのである。ゲームする諸将参謀にとって兵士はコマに過ぎず、いわんや民間人のことなど眼中にはない。
 昔の話ではない。かつて司馬遼太郎が質問したように、敵が来れば戦車隊は避難民を轢き殺して前進し、軍艦は漁船を蹴散らして展開する。訓練は、戦時のために備えることである。漁船の群れのような邪魔ものには心を動かされず、自動操縦で真っ直ぐ行く平常心こそを培わねばならない。イージス艦の行動や対応に怒るのはお門違いである。それが軍というものなのだ。