常識と偏見

 (承前)長々と駄文を重ねてしまいましたが、実は、いままでのことは前振りで、最初に書こうと思ったのは、もっとずっと簡単なことでした。
 というと、なんだと思われるでしょうが、実は裁判長にとっても、「心神喪失」とか「本来の人格」とかいった話は、いわば前振りだったように思えるのです。あくまで、記事に書かれている限りでのことですが・・・。
 いわゆる多重人格の場合、突如、声や口調や表情などが激変するといったことがあるようで、目の前でそのような激変が起これば、「別人格」の出現(表に出ること)は分かるでしょう。が、繰り返しますが、問題は、誰も見ていない過去のある時点(殺害と切断の間)に、そのような「別人格の出現」を特定できるのかということであり、できるとすればその推定の根拠は何かということです。
 鑑定にあたった精神科医は、長い時間をかけて調査や診察を重ね、その上で診断を下したのですから、その労には敬意を払わねばなりません。あくまで極く短い記事だけから想像する限りでのことですから間違っているかもしれませんが、鑑定は多分、当人には多重人格の傾向があると認め、犯行当時「別人格」が出現していた可能性が高いことも認めたのでしょうが、その出現が殺害と切断の「間に」であったかどうかについては、その可能性を完全否定はしていないかもしれませんが、それ以上のことはいっていないのではないでしょうか。
 報道によれば、弁護側は、「別人格がいつ現れたのかは不明」とする鑑定人の証言に基づき「殺害時点から心神喪失責任能力はなかった」と主張したらしく、その主張は、それなりに分かります。逆に検察側もまた、「別人格」出現の時期を争ったのではなく、鑑定そのものが信用できないと主張したらしく、それも分かります。
 くどいようですが、私が興味を覚えたのは、ひとりあえて殺害と切断を<有罪/無罪>に峻別した、裁判長の判断理由だったのですが・・・。
 殺害時の被告について、裁判長はいいます。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」のだ、と。「人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分」というのは、いわゆる「別人格」ではないのでしょうか。「衝動的」に「爆発」したというのは、日常的な「本来の人格」の制御が瞬間的にはずれてしまったことではないのでしょうか。
 だが、裁判長はいいます。確かに「殺害時の責任能力は著しく限られて」いたが、しかし、「命をうばった結果はあまりにも重い」。・・・ん?何だこれは。いわゆる心神喪失問題とは、明らかに次元の異なる話です。下世話にいうなら、「心神に問題はあったにしても、命を奪うなどいう重大なことをした者に責任能力がないなんてことは認められない」、ということなのでしょうか。
 他方、切断行為について、裁判長はいいます。遺体切断時には、「本来の人格とは別のどう猛な人格状態にあった可能性が非常に高い」。切断の理由は、「隠すためということでは説明がつかない」・・・これまた、ん?です。
 殺害という行為は、「人格内に隠れていた部分」が「爆発」すれば、<フツー>の人格にでもできる。犯行を「隠すため」という理由で死体を切断したのなら、それも<フツー>に理解できる。しかし、「犯行を隠すため」でもないのに、遺体切断などという実におぞましい行為をするというのは、明らかに<フツー>ではない「どうもうな人格」に支配されていたとしかいいようがない。・・・どうも、そんな風に読めなくはありません。
 結局、長々と駄文を重ねてアレコレいうほどのことでは全くなかったのでしょう。多分、「専門家の鑑定を無視できないが、人を殺して無罪はないだろうという世間の声も無視できない・・・・」と悩んだ結果をつなぎ合わせてごまかしただけの判決だったという、まあその程度のことだったのでしょう。