素朴な生活

 昨日、カタカナ英語の話で「課長」がいっていたのは、ハリソン・フォード主演の佳作映画のことでしょう。
 そういえば昨今の洋画の邦題には、英語の原題そのままをカタカナにしただけというものがありますね。『デス・プルーフinグラインドハウス』?なんじゃそりゃ?みたいな。と思っても、英語なんですから、人に聞いてはいけないのです。その代わり?、元が英語ですから、カタカナそのものはテキトーでよいということになっていて、以前「ダンス・ウイズ・ウルブス」という映画が評判になりましたが・・・と書けば、既に2カ所違っていますが、別にそれでもよいのです。ダンスといえば、「Shall we ダンス?」なんか、カタカナにもしていませんね。
 昔はそんなことはなく、先日亡くなった故水野晴郎氏のように、洋画の邦題をつける名人もいて、中には原題を越えた見事なものも少なくありません。ということで、あの映画に戻りますが、あの映画の邦題は、残念ながら反対例ではないでしょうか。
 原題は「WITNESS」という素朴な名前の筈ですが、日本では、「刑事ジョン・ブック、目撃者」という身も蓋もない、長ったらしい名前になっています。映画は確かに刑事物ですので刑事の名前を付けたのでしょうが、しかしあの映画は、ある意味ではそれ以上にラヴ・ストーリーともいえますし、更にいえば、ある意味ではそれ以上に、アーミッシュの生活が描かれた映画ともいえます。単純素朴な恋、また舞台となる村の単純素朴な風景や生活、それを思えば、単純素朴な原題の方がはるかによいと思うのですが。ま、単なる個人的趣味ですけれど。
 「近代」を徹底拒否しながら非暴力を貫き質素にひっそりと生きるアーミッシュの人たちについては、私はあの映画以上のことは何も知りませんので、何も書けません。
 ただ、殺し合い奪い合う私たちの世界についてあれこれと多少批判めいたことをいったとしても、私たち自身が、全身どっぷりこの世界に浸かり、ここから抜け出すことはもちろん、この世界で得たものを爪の先ほども捨てるつもりさえない、という「イギリス人」であることを、私たちはこの映画を見て再確認できるでしょう。(アーミッシュの人々はもともとドイツ系ということもあって、映画でも効果的に使われるように、「イギリス人に気を付けなさい」というようにいうそうですが、特にイギリスが問題なのではなく、アイヌの人々にとっての「シャモ」のように、いわば「(まっとうな)人間ではない者ら」というような意味なのでしょう。