プロなら技を

 テレビでこんなようなことをいってる人がいました。正確な再現ではないので、名前はやめておきますが。
 「まあ、あまりにも強く否定されますとね。かえってちょっと、ということになりますよね。例えば、日本へ来るアメリカの原子力空母とか原潜とかも、核兵器をわざわざどっかへ置いて来るなんてことしてるわけないだろう、積んだまま来てるんだろうと、暗黙のうちに、大抵の人は思ってるわけですね。それでも、「ノーコメント」、といい続けてまして、みなさん、そりゃ公式にはそうとしかいえないだろう、というようなことで、まあまあになってます。それと同じでしてね。「ノーコメント」という位にしておけば、ま、ま、公式にはないということで了解しておきましょう、ということになるんですけどね。余りにも正面から、八百長は絶対ないです全くありません、と言い切られると、かえって、それはちょっと・・となりますね。」
 大体、スポーツというのは、語源的に「気晴らし、楽しみ、遊び」といった意味で、本来テキトーなものですが、プロというのは金をとるのですから、「気晴らし」なんて生っちょろいものではありません。常人には全く持ち上がらない重いバーベルを、指だけで持ち上げて見せたり、塀の上から2回バック転で飛び降りて見せたり、つまり「見せて」お金を取るのです。
 同じ格闘技系でも、プロレスなんか、まさにプロ・スポーツそのものですが、あそこはプロ意識が足りないのじゃないですか。国技なんていって。
 もちろん格闘技だけじゃなく、例えばオリンピックにあるような競技でも何でも、選れたアスリートは、立派なプロ意識をもっています。例えば、セルゲイ・ブブカというすごい人がいましたね。「鳥人」と呼ばれ、世界選手権6連勝という、不世出の大選手ですが、彼は世界記録を、何と35回も更新しています。1センチづつバーを上げていったといわれていますが、つまり、金を払って来てくれた観客に、ひとりでも多く、「世界記録誕生の瞬間を見た!」という感動を提供しようとしたわけです。「故意」を故意とは思わせない技術をもった、まさにプロ中のプロだけができる、すばらしい「故意の手抜き」ですね。
 そういえば、先日の清原最後の試合では、相手ピッチャーはストレートばかり投げた筈です。スピードまで遠慮したかどうかは分かりませんが、とにかく1本打って、観客は喜んだことでしょう。誰も「故意の直球」とはいいません。
 というわけで、「遂に悲願の優勝なるか!?」、などと館内もTVの前も沸いているときに、相手力士が「決して故意ではないガチンコ」と見せかけて土俵を割るという、一段上のプロの技を使う場合もあるでしょう。これまたプロ級の観客が万一何かを見抜いたとしても、その技に感歎するだけです。
 前理事長がいうように、今の力士たちにはは、「故意に見えない故意の手抜き」という高給技を全くもちあわせていないようなら、もはやプロではないという他ありません。