白洲次郎という人(2)

 写真的見た目と銀座的評価の「カッコよさ」は認めた上で、さて、白洲次郎とは、全体何者なのでしょうか。「白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 - 1985年11月28日)は兵庫県芦屋市出身の日本の実業家である」。ひとことでいって、「実業家」のようです。
 確かに、年譜をみても、憲法ができる場面にいたり新設された貿易庁の長官になったり講和全権団に加わったりというような、いわば「国家」に関わる事項が見られるのは、80年を越える彼の生涯のうち僅か10年ほどでしかありません。で、あとは実業家というわけですが、では実業家としての白洲はどうだったのかといえば、失礼ながら、格別の人物であったとは思えません。
 例えば戦後の「食料不足を予期し」たとき、白洲は、憂国の実業家として農業振興につながる事業に身命を賭して取り組むことを決意した・・・のではなく、近郊に農地付きの大きな農家を購入し、別荘に改造して「隠棲」したそうではないですか。食糧難に苦しむことになる庶民のことを先憂するのではなく、自分の安逸生活を優先したわけです。あるいはまた、白洲は後に東北電力の会長になりますが、その分野で、もし「凄い実業家がいた」といわれるとすれば、それは、戦後経済の基盤たるべき電力体制整備に生命を賭けて「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門の方であって、白洲ではないでしょう。
 どこかの賞賛本の惹句か何かに、「一身に国益を護ろうとした」とありましたが、少なくとも「実業家」白洲は、来るべき食糧難という国家的危機に一身を賭して立ち向かったり、安定した全国的電力供給体制の整備という復興のカギを握る国家的事業に全霊をもって打ち込むというような、「一身に国益を護ろうとした」タイプの実業家ではありませんでした。
 というわけで、やはり、白洲次郎を「白洲次郎」たらしめるカギは、問題の10年間にあるようです。(続く)