白洲次郎という人(4)

 「手のつけられない不良だったから、島流しにされた」という言葉をそのまま信用するわけにはゆかないでしょうが、ともかく、ケンブリッジ大に留学した白洲は、「自動車に耽溺し、ブガッティやベントレーを乗り回す」という生活を送り、また若き何とか伯爵と親友となって「ベントレーを駆ってヨーロッパ大陸旅行を実行し」たりしたそうですね。同じようなことをする大学生に対して、少なからぬ大人は金持ち道楽息子の馬鹿げた所行だというでしょうが、暴走族に嬌声を上げる「期待族」ギャルなら、「カッコいい!」というでしょう。
 とはいえ、遊んでいただけでなくまた頭も悪くなかった証拠に、彼はケンブリッジ大を卒業します。でも相変わらず車好きで、伯爵令嬢と結婚するや親から贈られた高級外車で新婚旅行に行ったとか。もちろん仕事に就きますが、といってもそこは超金持ちですから、30才代にはもう、後の日本水産や日英貿易商社などの取締役に就任しています。今とは違って、庶民は海外などに行けない時代ですが、白洲はしょっちゅうイギリスに行き、その頃、駐イギリス特命全権大使だった吉田茂の面識を得たということです。
 さて、貶すようなことばかり書いているといわれないように、突然ですが、ここで、有名なエピソードに触れておきましょう。
  *Wikipedia=「次郎が理事を務めるゴルフクラブに、ある日秘書らしき若者から「これから田中がプレイしますのでよろしく」と挨拶があった。応対した次郎が「田中という名前は犬の糞ほどたくさんあるが、どこの田中だ」と返したところ、「総理の田中です」と返答があった。「それは、(ゴルフクラブの)会員なのか?」と次郎が尋ねると相手からは「会員ではありませんが、総理です」と返答があった。次郎は「ここはね、会員のためのゴルフ場だ。そうでないなら帰りなさい」と言い、そっぽを向いたとのことである」。
 もっとも、数行あとには、「田中に対してはクラブの会員でない秘書が総理秘書だからといってプレイしようとしたことを拒否した」とあって、少し内容が異なりますので、こういう話はどこまで本当なのか伝説なのか分かりません。しかしともかく、これは有名なエビソードのひとつで、世間はこの話に痛快がって、「筋を通した男」、「ルールを守るということを第一にした」男と、白洲を賞賛するようです。もっとも、「犬の糞ほどたくさんあるが、どこの田中だ」などといった言葉遣いは、「真の英国紳士」ならする筈はありませんし、それにまた、こう手の話は巷にもよくありますよね。「どちらの麻生さんか存じませんが、うちは一見さんはお断りどす」とか。寿司屋やラーメン屋でも、「店ん中では俺のルールに従ってもらおう。嫌ならけえってくれ」、とエバる主人が時折いて、エバられた大企業の社長とか知事とかがまた、喜んだりするわけです。
 それはさておき。
 「いやあ、大使館時代には、閉口しましたよ。筋も何もあったもんじゃない。はじめて会ったのは、着任して間もない頃でしたよ。電話がありましてね。吉田の知り合いだが、今夜泊まる、というのです。間違い電話かと思って、「吉田というお名前はたくさんありますが、どちらの吉田様でしょうか」と聞くと、「大使の吉田だ」というのです。それで、「確かに大使は吉田ですが、ここは大使館で、公式なお客様でない方をお泊めすることはできません」、といいましたらね。「あんたはいつ着任したんだ」と聞きますから、「4月からですが」といいますと、鼻で笑って、「それじゃ話にならん。とにかく、これから行くから。大使に話しておけ」、といいまして。失礼な人だとは思いましたが、一応大使に聞いてみますと、「白洲なら泊めてやれ」、の一言ですよ。後で先輩の書記官に「筋が通りません」と話しますとね。「いや君、あの通りのワンマンに、筋なんか通るわけないだろ」と笑われました。とにかく、そんな吉田大使をいいことに、大使館を定宿のように使ってましたね、あの男は。筋もルールもあったもんじゃないですよ」。
  *Wikipedia=「(昭和5年頃)この間、駐イギリス特命全権大使であった吉田茂の面識を得、イギリス大使館を定宿とする」。