ライト(6)

 無視しているわけではないのですが、選挙については、大体のことは誰かがいっているでしょうから、ここではパスします。さて、つまらぬことを書いてしまいましたが、そんなわけで「合法性」と「正当性」と訳されたフランス語を英語にしますと(幸い親戚語なのでほとんど変わらず)、「legality」と「legitimacy」ということになります。両語の意味上の差異について十分には分かりませんが、ともに「leg (法、書かれたもの)」を共通語源にしていますので、少なくとも、正当性 legitimacy の根拠もまた、何らかの「法」にあるのでしょう。というより、辞書には「適法性」という訳もあるわけで、そうすると「合法性」と「正当性」は、「合法性」と「適法性」ということになってしまいます。ということで、対立するのは、むしろ「二つの法」だという方がはっきりしそうです。
 例えば。もともと秩序を安定支配しようという側では、個別法を、メタレベルで根拠付けるのが普通です。モーゼ以来、実際の立法や司法の背後に「至高の立法者であり最終審判者である神」を強調したりするようにです。ところが神権政治で通すのは難しく、やがて世俗支配権が独自化しますので、世俗法と神の法が離れ、前者で「合法的」だからといって神法に照らせば「正当、適法」ではない、といった齟齬も起こります。また、よくある征服支配の場合には、端的に、「奴ら」が押しつける法と「我ら」伝来の法の間に当然大きな対立が生まれるでしょう。などなど。
 ところで、西洋語にはうといのですが、「legality」「合法性」といえば、いわゆる世俗的な成文法律第何条の類が前提され、対して「legitimacy」「正当性」の方は、世俗法律より「上位」の至高法が意識される、といっていいんですかねえ。「たとえ legal には「合法的」であっても、(神の前では、人間として・・)legitimate には「正当」ではない「正義」ではない」、というように。
 けれども、仮に言葉の使い方がそうだとしても、legality より legitimacy の方が、合法性より正当性や正義の方が上位だと、常に万人に認められるということは期待できません。「どんな裁きを受けようと、神様の掟の方が上です」と踏み絵を踏まずに十字架にかかるような信仰心篤い人もあれば、「マッポの法律よりも組の掟の方が上じゃい」という人もありうるからです。
 あるいはまた、「合法性」の守護者である警察官さえもが、勝手に「正義」を法律の上位に置いたりもします。それも、ダーティー・ハリーのような特異警官が合法性を盾にとる悪人をやっつけるというようなお話だけではありません。例えば、他殺事件をうやむやに処理してしまったけしからぬ警察官についても、彼は「その地域に赴任して長い駐在警察官として、もっとも望ましい正義を実現していたのだと信じていたのだろう」(佐々木譲『制服捜査』)、といわれる場合もありうるわけです。
 つまり、「合法性より正当性が、正義が、上だ」と誰かがいったとしても、「正当」とか「正義」というやつ自体が、またいい加減な法や掟に依拠していることもありうるということになります。