寒いですね

 「これは猫です。この猫は小さいです。」
 前述のように、日本語の教科書では、これが標準のいい方になっています。
 このような文体は、どのように感じられるでしょうか。特に後半の「小さいです」=「形容詞+です」の部分。
 ただ、語学教科書の文体そのものが、「ぎこちない」ものであることは、清水義範氏の名作『永遠のジャック&ベティ』にある通りです。荒井注がギャグにしたように、「This i a pen. これはペンです」などといった話をすること自体、普通はありえません。
 もし、上記のような教科書会話の「小さいです」に「ぎこちなさ」を感じたとすれば、それは、教科書体故のぎこちなさなのか、それとも、「形容詞+です」文の日本語としてのぎこちなさなのか、どちらでしょうか。
 例えば会議室で。
 「・・・これがその表です。全体として低下傾向にありますが、ご覧のように、7月だけが高いです。」
 「これがその表です」という<名詞です>文には何の問題もありませんが、「7月だけが高いです」という部分は、どうでしょうか。このような<形容詞です>文に多少の「ぎこちなさ」を感じる方もいるでしょう。もちろん「現代では認められている」ということで、何も感じない方も少なくないでしょうが、そういった方でも、多分普通は「ご覧のように、7月だけが高くなっています、というようないい方をするのではないでしょうか。
 しかし、もっと簡単なやり方があります。例えば、「ご覧のように、7月だけが高いですね、と、「ね」をつけるいい方です。既に述べたように、形容詞です文の「ぎこちなさ」は、「ね」ひとつで消えます。
 「おはよう」。「あ、おはようございます」。「寒いわね」。「寒いですね」。
 上の対話でも、最後に<形容詞です>文がありますが、「ね」がついているためか、「ぎこちなさ」は全くありません。
 「ね」の機能とは何なのでしょうか。もちろん素人談なので信用しないで頂きたいのですが、明日、その辺りのことを少し考えてみましょう。