有名写真屋さんの受難

 篠山紀信氏といえば、多分、荒木経惟氏と並んで、現在最も有名な写真家といえるかもしれません。もっともアラーキーこと荒木氏は、いや多分篠山氏も、そんな並列を拒否するでしょうけれど。
 さて、先日、篠山氏が、通行人の目に触れる公共の場所で裸の写真を撮影したとして、書類送検されたということです。今回の書類送検は、「類似行為に歯止めをかける狙いがあるとみられる」とのことで、つまり、有名な写真家のやることは目こぼししてもいいのだが模倣する輩が出ては困る、ということだったのでしょう。それにしても、住民から通報されて警視庁に出した始末書に、水着だったと嘘を書いたということですからいけません。荒木氏もこれまで海外の個展などで物議を醸したりしていますが、もし荒木氏なら、ごまかしたりはしなかったのではないでしょうか。
 しかしそれより、「公共の場所で裸」というのが、失礼ながら陳腐ですね。もちろん、見ていませんが作品そのものはとてもキレイなのでしょうけれど。
 街頭で下着を見せて写真を撮らせた女とか、公園で裸でわめいた男とかは、直ちに捕まってニュースのネタになりましたが、それは彼らが一般人とか芸能人だったからで、最初から芸術家だパフォーマンスだ、といえば、目こぼししてもらえたかもしれません。普通、あるべきでない場所にあるべきでない物があれば、驚いたり顔をしかめたりするだけですが、しかしゲイジュツということになると、デペイズマンとかいう立派な名前までつくわけです。あるべき物があるべき場所にあるというような惰性の日常性を震撼させるというわけで。でも、そういうことで感心してもらえたのは20世紀前半までで、大抵の取り合わせは、もうどこかで見たことがあるものになってしまいました。先日テレビで、誰か彫刻家が街頭に作ったオブジェが通行の邪魔になっているという話が取り上げられていました。彫刻家にすれば、邪魔になるからこそ芸術作品のつもりだったのでしょうが、可哀想なことに、通行人は誰ひとり作品には目もくれず、ただ迷惑そうに迂回するだけでした。
 その点、女性の裸は、必ず見てくれます。さらに、高速道路で裸、となると、ベッドで裸よりはインパクトがあるでしょう。しかも、キレイに撮る技術が超一流の有名写真屋さんが撮ったとなれば。つまり、売れるでしょう。もちろん売れることは悪いことではありませんが、ゲイジュツを解さない無粋な警視庁は、公共の場所を使ったのは売るための戦略だな、などときめつけてしまったのではないでしょうか。誠にゲイジュツにとって受難の時代です。