「楽しい」時代2

 半月ほど空いただけなのに、世の中いろんな事があり、何の話だったか忘れそうですが、大山顕東浩紀ご両人の「非常に愉快」な対談のお話でした。で、お二人が何の話でそれほど楽しく盛り上がっているかというと、「ショッピングモール萌え」なんですね。「モールって便利だし、すばらしいよね」という意見で一致し、「結局、モールが理想の街を事実上作っちゃってるよね」と意気投合した、というのです。(最初に書き忘れましたが、『ショッピングモールから考える−ユートピア、バックヤード、未来都市−』という幻冬舎新書です。)
 とにかく「モールってすばらしい」、「ショッピングモールの内部」には、「人々の理想とするような街が実現されていたりする」というのですが、それというのも、「ショッピングモールというのは、人々が政治も文化も共有しないまま、互いに調和的に振る舞い、なにかを共有しているかのような気になれる空間」だからだと東氏はいいます。「言語も宗教も政治体制も違うのに、ショッピングの実践では同じというのがすごい。大げさでなく、これは人類にとって大きな可能性ではないでしょうか。今後世界で言語や宗教が統一されたり、連邦政府がつくられたりすることはありそうにない。しかしみながZARAを着ることはありうる(笑)」。
 UNIQLOなどといわずにZARAというところがオシャレなのでしょうか、その辺のところは私などには分かりませんが、とにかく、モールというのは「理想の街」だ、「人類にとって大きな可能性」がある、と、趣味の話にしては大げさになるのですが、東氏にとっては「大げさでなく」、資本が実現しつつある同質の「公共」世界に未来を委託するというのが、どうも基本的な現代把握のようです。
 ところで、上に引用したように、楽しい、すばらしい、というのは「ショッピングモールの内部」のことなんですね。当然、「内部」があれば「外部」があります。「すばらしい」「楽しい」「ショッピングの実践」ができるためには、モールの「内部」は、危険で不潔で予想できない「外部」世界から隔離された、安全で清潔で行き届いた小世界として閉じていなければなりません。
 具体的には、「監視カメラに囲まれ空調の整っている「セキュリティ」の空間」、「ホームレスなどが入れ」ない空間、入り口に金属探知機があったり、写真を撮ろうとすると警備員が飛んで来て制止されたりする空間です。そのように、外部からの隔離と内部の管理が十分行き届いた区画だからこそ、私たちは、安心して楽しくショッピングできるのであり、だからこそショッピングモールは、ただの買い物商店街ではなく、実に楽しいアミューズメントパーク、ワンダーランドでありうるのです。(続く)