現代教育の象徴

 「不登校」とは、「児童生徒の心身の状態、彼をとりまく家庭、学校、地域社会の状況などさまざまな原因によって児童生徒が登校しない、あるいは、登校したくてもできないこと」(日本大百科全書』(小学館)、とされています。かつては登校拒否という言葉も使われていたようですが、現在では、単なる事実を指す「不登校」という名称が用いられるようになっているとのこと。それだけ、心理的社会的な様々な要因に起因する、多様で普遍的な現象なのでしょう。
 つい先日もありましたが、学校で暴力的なあるいは陰湿な<いじめ>にあって、遂に自死を選んでしまうような児童生徒もいます。どんなことがあっても、学校へ行かなければならない。子どもたちはそう思いこんで、自分を追い込んでしまうのです。だが、「義務教育」とは子どもたちに登校の<義務>があることだと思いこませて来たのは、近代国家教育が用意している陥穽、落とし穴です。逆です。子どもたちには学習する<権利>があり、そして国家の方に、子どもの学習権を保証する<義務>があるのです。
 子どもには、学校へ行かなければならない義務はありません。いじめられても登校して自らを苦しめ、時には死を選んでしまわねばならないような、そんな登校義務はありません。大いに休めばよいのです。
 そう見れば、不登校は、実に現代教育における<象徴>的行動といっても過言ではないでしょう。早くも現代教育の陥穽を見抜かれたのは、さすがという他ありません。雑音にめげずに、<象徴>的行動を貫かれんことを。