Hな自由

 最近では、東京都の青少年育成条例改正案が、かなり大きな問題になりました。提案者自身が不十分な案だったことを認めたらしく、ひとまず取り下げたようで、結構なことです。が、この種の問題には、どうも歯切れが悪くて気になることがあります。それは、「表現の自由」ということばの使い方なのですが。
 次の例をご覧ください。
 1) Hマンガがコンビニで売られているのを見て、PTAの人たちが、子供に悪影響があるので、誰もが立ち読みできるような本棚での販売をやめてほしいと店にいいます。でも、何をどう並べようと勝手だろうといわれたので、規制する条例を作ってほしいと訴えています。
 反対する人たちはいいます。Hマンガというが、何をもってそう規定するのかが問題だ。条例で規制すれば、拡大解釈されて、表現の自由が侵害されることになる。だから条例には反対だ。
 2) H写真のスタンドが職場の机に立てられているのを見て、組合女性部の人たちが、不快だから誰でも見えるような場所に置くのはやめてほしいといいます。でも、自分の机に何を置こうが勝手だろうといわれたので、セクハラ防止の社内規則を作ってほしいと訴えています。
 反対する人たちはいいます。H写真というが、何をもってそう規定するのかが問題だ。規則など作れば、拡大解釈されて、私物全てが監視される職場になる。だから規則を作るのは反対だ。
 上記の1)と2)は同じなのでしょうか。違うとすれば、どこが違うのでしょうか。