空気について

 「桜」も「逃げ切って」国会閉幕。安倍も菅も流石におかしい、という声が多いが、それでも世論調査では、支持が不支持をかなり上回っている。我々はなぜ、現状を支持し続けるのか。そもそも何を支持し続けているのだろうか。
 一か月間あいて、前に書いていたことを忘れたが、多分、「一強忖度」や「ヘイト」といった「空気」の蔓延についてだった。
 「空気」という言い方は、しかし、自分(たち)は<明確な硬い>地盤に立っているにもかかわらず、<目に見えずつかみどころのない>流れに乗った連中が大勢を占めて、世の中を困った方向に押し流してゆく、という情勢観に立つ言葉である。例えば「科学」は明確で硬いが「迷妄」はつかみ所がない。ということで人は、往々にして、互いに、自分(たち)を<科学的根拠>に立つ者と規定し、それに反して、自分たちと意見、見解を共にせず、気に入らない動きをする連中を、愚かにも「迷妄」あるいは「似非科学」に捉われた者らと規定する。
 しかし、繰り返すが、「互いに」である。
 大体、「空気」説の元祖、山本七平『「空気」の研究』にしてからが、(昔の本なので忘れたが、確か)世の中の愚かな連中が、「ダイオキシンがいかん」とか「大気汚染が問題だ」とか「原発は危険だ」とかいうような、実に「非科学的な」<空気>に乗って、「公害反対!とか「原発反対!」とか叫んでいるのが、実に癪に障る、という本である。
 水俣で奇病が多いとなると、「有機水銀が原因だ」とは科学的に証明されていないのに、非科学的な<空気>に乗って、ムシロ旗を掲げてチッソ工場に押し寄せる。実にけしからんことではないか。(そういえば、東工大出身の吉本も、「原発反対」を「非科学的」な空気だと一蹴した)。
 もちろん自然科学だけではない。リフレ派経済学とか新自由主義政治学とか、いろいろ使える「科学」は山ほど売っている。
 話がおかしな方に流れてしまった。もうやめる。気が向けば、明日また。