漱石 1911年の頃 32:意識と波2

 さて、前回ご紹介した意識の流れの分析は、「西洋の學者」の受け売りです。
 ところが、大文豪にこんなこというのも何ですが(といいつつエラい人に不当な(^o^)言いがかりをつけるのがこのブログですので、もちろん気にはしませんが)、ここから、漱石の論の運びが少しおかしくなります。といっても、講演の話し言葉をグダグダ読まされるのも大変だと思いますので、きちんと確認されたい方は直に当たって頂くとして、勝手な整理で進みますが、
 「これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は 〜 一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年乃至十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間に亘ったって、いっこう変りはない事と私は信じているのであります」。ずいぶん乱暴な拡張ですが、「信じている」といわれれば、これについては何ともいえません。
 「推論の結果心理学者の解剖を拡張し 〜 応用して考えてみますと、〜開化というものの動くラインもまた波動を描いて 〜 進んで行くと云わなければなりません」。何にでも応用できると信じているのだから、これもそうなるでしょう。
 「無論描かれる波の数は無限無数、〜 千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります」。「波」の形を描いて進むということから、どうして「内発的でなければ嘘だ」となるのかが分かりませんが、ともかく、そういう内発的な波は、こう説明されます。 
 「甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜しい。したがって従来経験し尽した甲の波には〜未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉まれながら毫も借り着をして世間体を繕っているという感が起らない」。波の「形」の話と「感じ」の話がごちゃまぜなのがひっかりますが、ともかく、図を描いて理解してみましょう。

 ○自然的で内発的な開化の波では、上図のように、ある期間をかけてAの波が充分自らを展開し、そこで「好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽」されます。しかしそのうちに、Aは次第に「飽きられて」来て、次の波Bとの交替期が来ます。やがて、新たなBが登場し成長してゆくのと引き替えに、Aは消えてゆき、今度はBの波の展開期となります。以下同様にして、ゆっくりと動いてゆくのが、本来の開化の流れです。

 ○ところが、「日本の開化は 〜(そのような)自然の波動を描いて 〜 内発的に進んでいるかと云う(と)〜 残念ながらそう行っていないので困るのです」。何しろ「西洋で百年」かけてゆくり自然に展開してきた開化を「十年に年期をつづめて」やるわけですから、下図のように、Aの波が充分展開しないうちに次のBの波が現れて追い立てます。それどころか、Aがピークを迎えたばかりだというのに、早くも次の次のCの波までが現れて成長を始めます。という具合に、それぞれの波が充分展開するゆとりがないまま、実に慌ただしく重なって進んでゆくのが、日本のような外発的な開化の流れです。

 どうでしょうか。このような説明なら、よく分かると思うのですが、ただし、前回の図と比較して頂けば分かるように、漱石が自然な開化を根拠づけたジェームズの図は、上ではなく下の図ですから、つまり上に青字で書いた部分のような理解は誤りになってしまいます。もちろん漱石が図を描いて説明したわけではありませんが、いってることがそういうことです。
 というより、大体ジェームズなんてものを、わざわざ引き合いに出す必要があったのでしょうか。開化は「波のように」やってくる、ということをいいたいわけですから、「昨今では開化開化ということで、皆様ご承知のように、西洋からいろんなものが次々とやってきます。まるで波が重なり合って押し寄せて来るようなものですね」、といっただけで、聴衆は、汽車や散切り頭や牛鍋や新聞や綿ネルや市会や小学校や大砲や、それぞれいろいろ思い浮かべて、「ああ、ほんとにそうですなァ」と納得したでしょう。それで済むところを、わざわざ「西洋の学者が書物に書いた通り」の「ややこしい話」を持ち出して、猛暑の中で聞いている聴衆を困らせる。西洋を権威に借りて自分の話を権威づけようという、「外発的」態度でなければ幸いです。
 ということで、大筋に戻りますが、意識の話や学者の話など余計な権威づけを抜きにすれば、結局肝心の講演後半でいいたかったのは、こういうことのようですね。
 浦賀に黒船がやってきて以来、皆様ご承知のように、世の中が急速に変わりまして、昨今では、どこを叩いても文明開化の音がします。開化は一面結構なものですが、しかし日本の開化というのは、自分たちの中から「内発」的に起こったものではなく、西洋からの圧力を受けて始まった、いうならば「外発」的なものです。だから、西洋が百年以上かけて作り上げたいろんなものが、波のように外から押し寄せて来るのを、次から次へとひたすら受け入れてゆかねばならない。汽車や電信といった便利なものだけでなく、文芸や学問や政治などの世界の、なんとか主義とかかんとか主義とかもそうです。そういったものを、とにかく短期間で次々と慌ただしく取り入れてゆかないと、西洋に伍してやってゆけない。ということで、どうしても現代日本の開化というものは、借り物が身に付かないまま、上滑りに滑って行かねばならいのですから、実に困ったことです。できれば上滑りにならないように、何とか本場の西洋人並にと、真面目に努力するのですが、まともにそんなことをしようとすれば、神経衰弱になってしまいます。
 もちろん、いっていることは悪くはありません。当時としては、ある意味しごく真っ当な時代認識であり開化(近代化)観です。さすが漱石、といってもよいでしょう。けれども、しごく真っ当であればこそ、11年という年に、前年の大逆事件韓国併合も抜きのこの程度の開化観を、漱石にして到達しえた独自の開化観であり、これは近代日本思想史における重要な講演だ、と持ち上げるようなことは、やはりやめておきたいと思います。(続く)