漱石 1911年の頃 22:イプセンとイノセント1

 最初に、お詫びして訂正させて頂きます。先に、天皇が「スーツズボンに革靴シャツの袖まくり」でお手植えと書きましたが、昨日のニュースでは、今年は「麦わら帽子に長靴姿」だったようですね。昭和天皇の写真を見た記憶によったのですが、改めて画像検索してみると、ソフト帽子は多少珍妙ながら、足下ははっきりしませんが長靴だったようです。開き直り言い訳で自ら泥沼に入るハシモト氏のようにはなりたくありませんので、謹んで訂正させて頂きます m(_ _)m平伏
 さて、似た話が続くのは面白くありませんので、和歌浦は先送りし、ここで、中断保留にしたままになっている16後半の部分に戻っておきましょうか。項の名は下手な語呂合わせで意味ありません、多分。
 こういうことでした。大患直前の10年7月に書かれたらしい断片で、漱石は、「アル ism ヲ奉ズルハ可」だが、「他の ism を排スル」のは、多様な生き方を認めず一色の生き方しか許さないということだ、それはいかん、と書いています。ちょうど幸徳逮捕の記事が解禁され、事件に大きな関心を寄せていた啄木の見舞いもあった月でもあり、この断片には、漱石の「主義」弾圧への批判が込められているのでは、と読みたいところです。けれども、同じ7月に公表された「イズムの功過」では、「大抵のイズムとか主義とかいうものは」「一種の形」であるといった話から、大筋では、西洋のイズムに過ぎない「自然主義」を強いるのはいかん、という方に行きますので、それからすると、問題の断片も、文学における自然「主義」一辺倒への批判であったらしくも思えます。以上が保留内容です。(ん? 今思いつきましたが、全集編者は、公表された後者から似た内容の前者を7月と推定した、ということもありうるのでしょうか。保留)
 ところが実は、問題の断片には、その「○アル ism ヲ奉ズルハ可。云々」という文章のすぐ前に、ということは同じ時期に書かれたものとして、「○Idealist トシテノ Ibsen」という記述もあるのです。Ibsen(イプセン)とは、あの「人形の家」のイプセンです。
 では漱石は、その断片にどういうことを書いているのでしょうか。ちょっと、それを読む前に先ず、13年の暮に漱石が一高でした講演、「模倣と独立」をみておきましょう。例の「イミテーション」と「インデペンデント」を対比させた講演です。
 その講演で漱石は、人には誰しもイミテーション、インデペンデントの両面があるが、しかし世の中には、一方が強い人がいる、といいます。自分に基準がなく人の真似をするイミテーターとは逆に、インデペンデントの強い人には、自分の信念があって、それを「言い現わし、それを実行しなければいても立ってもどうしてもいられない」。そして漱石は、他の人と並んで「例えば親鸞などはインデペンデントがよほど強い人だった」といった後、「もっと新しい例」として、ここでイブセンを挙げるのです。
 もっと新しい例を挙げれば、イブセンという人がある。イブセンの道徳主義は御承知の通り、昔の道徳というものはどうも駄目だという。何が駄目かといえば、あれは男に都合の宜いように出来たものである。女というものは眼中に置かないで、強い男が自分の権利を振り廻すために自分の便利を計るために、一種の制裁なり法則というものを拵えて、弱い女を無視してそれを鉄窓の中に押し込めたのが今日までの道徳というものであるといっている。
 それで〜女の方から見ますれば、それが逆にまあならなければならないというのです。その思想、主義から出発して書いた〜最も著しい例は、『ノラ』というようなものであります。それがイブセンという人は〜イミテーションではない。(イプセンの自己は)今までの道徳はそうだから、たといその道徳は不都合であるとは考えていても、別に仕様がないからまあそれに従って置こう、というような余裕のある、そんな自己ではない。もっと特別な猛烈な自己である。それがためイブセンは大変迫害を受けたという訳であります。
 
 もちろん、「こういう人というものは〜世の中の人と歩調を共にすることは出来ない」ので、結構「厄介なもの」です。しかし、「厄介ではあるけれども、〜(イミテートする人)に比べれば、自己の標準があるだけでもこっちの方が恕すべく貴ぶべし――といったらどんな奴が出て来るか分らぬが、事実貴ぶべき人もありましょう。とにかくインデペンデントの人にはまあ恕すべきものがあると思うです」。
 少し奥歯に物が挟まったようないい方ながら、基本的に漱石は、「人からいくら非難されても」思うところを主張し続けた「イブセンはイミテーションという側の反対に立った人といわなければならない訳であります」、と、かなり高く評価しているように見えます。
 さて、そこで、冒頭に触れた問題の断片に戻りましょう。念のため、こちらの方が先の10年なのですが。
 ○Idealist トシテノ Ibsen 迂闊突飛なり。それを日本の青年が読んで一図に実社会に影響あるものと即断して生活に表現せんとする effort ヲナス。Ibsen ノ書いた国にても ideal ナリ。日本ニテハ無論 ideal ナリ。これを履行せんとして窮し窮して煩悶す。寧ろ gratuitious ナ torture ナリ
 メモですから仕方ありませんが、これまた分かり難いですね。あえて砕いて言い直すと、こんなことでしょうか。
 イプセンは、理想主義者というか観念論者というか、頭で立派なことを考えているが、それが世間的にみてどうかといったことまでは考えない迂闊(うかつ)なところがある。いい換えれば、彼の考えは過激というか世間的には突飛(とっぴ)なものである。ところが、日本の若い人々の中には、イプセンを読んで彼の考えにイカれ、これは実社会に影響のある考えだと即断し、一途に生活の中でそれを実現しようと努力したりする者がいる。しかしイプセンの考えは、彼の国でも頭の中の理想を出ないのであって、いわんや日本のような国では、むろんまだまだ実社会から離れた観念でしかない。そんなものをあえて何とか実現しようとすれば、どうしても行き詰まってしまい、煩悶する他ない。むしろ、しないでもいい拷問を自ら引き受けるようなものである。
 ・・・漱石さん、イプセン本人はともかく、イプセンを読んで「実社会」に表現しようとする若い人々に対しては、かなり厳しいですね。
 ここで「青年」といっています。当時の用語法を研究されている方々に聞いてみる必要がありますが、素人的には、当然女性も入れたいところです。まさに『青鞜』が翌年創刊され、「新しい女」が颯爽と登場してきた時代です。時代のシンボル的存在であった平塚らいてうに近づいた漱石門下の森田草平は、既に跳ねとばされ、漱石の世話でぐじぐじ小説などを書く他ありません。らいてうは、ノラの限界をも越えてゆくのだと意気軒昂ですから、さらに「迂闊突飛」な女だということになりそうです。漱石は、「新しい女」たちがイプセンの思想を「一図に実社会に〜表現せんと」することを、ダメとはもちろんいっていませんが、少なくとも世間に先んじすぎた無駄な努力だ、というわけでしょうか。(続く)