三木清:獄死前後2

 前回の記事に「豊多摩拘置所で死去」とありました。拘置所ではなく「豊多摩刑務所」ではないのか、と疑問に思われた方がいるかもしれません。
 一般的確認をしておくと、逮捕されて警察(東京の場合は警視庁)の「留置場」に留置され、起訴されて「拘置所」に拘留され、実刑判決が確定すると「刑務所」で受刑するという段取りになります(「代用拘置所」、「死刑囚の収容、処刑」、「予防拘禁」、などなどの問題を除く)。
 三木は、45年の3月28日に警視庁に検挙され、留置取り調べの後起訴され、検事拘留の手続きにより6月12日に東京拘置所に拘留されます。
 ところが、東京に激しい空襲が繰り返され、6月20日に中央官庁の疎開によって司法省が東京拘置所へ移ることが決まったため、その玉突きで東京拘置所豊多摩刑務所へ移転することになり、三木も同日同所へ移ります。そんなわけで、三木は、「豊多摩拘置所」つまり「豊多摩刑務所内東京拘置所」に収容されていたわけです。
 ただし、Wikipedia「東京拘置所」には、「東京拘置所は同年5月に、空襲で全焼し,囚人は宮城刑務所へ送致された」という記事があり、だとすると三木は全焼から1か月後の6月12日に(再建された?)同拘置所に送られたということになり、少し不自然ですが、この点は保留しておきます。