三木清:獄死前後6

 前回最後に触れた件は、そのようなことがあったことを否定したのではない。日本政府にもGHQにも、内部に様々な立場や意見があり言動がある。政府関係者の誰かがGHQ関係者の誰かに政治犯の釈放を打診したがその場では事態が動かなかった、といったようなことはあったのかもしれないし、逆もまたあったかもしれない。問題は、一つの証言を手にした時に、逆証言をも<想像>しつつ、「ヒストリー」に何をどう取り入れるかということである。
 さて、前回の記事に戻るが、その記事に従えば、治安維持法体制下での「恐怖政治」の「廃止」や「司法制度」の「改革」が、朝野をあげて「逐次」「活発に」議論され、また実施されつつあった。その「矢先、偶然にも起った」のが「三木清氏の拘置所における獄死事件」だった、ということになる。
 文意というものがある。この記事は、あることを否定する意図で書かれている。すなわち、<政府が治安維持法体制の「廃止」や「改革」を怠っていた>ということはなく、従って、<その結果三木が死んだ>というようなことはない。それが記事の意図である。けれども、「恐怖政治は首相宮の御明断によって逐次廃止」つつあったし、三木の獄死は「偶然に起った」ことである、という記事内容は、まるきり違っているといわざるをえない。