帝国の慰安婦:安堵の共同性18

 (3)「意に介さない」でも「意を解する」
 昨日書いたことは、あるいはズボラな私の偏見過剰憶測なのかもしれません。というか、実は、以上は前置きのつもりなのです。
 首相との関連が非常に強い学園への国有地の実質無料提供という不正処理疑惑、そして、首相周辺からの指示あるいは依頼があったのではないかという政治介入疑惑。それらについては、野党やマスコミ諸氏に、是非粘り強く追求していただきたいと思います。期待薄ですが。というより、特に後者のような疑惑追求が成果をあげることは、一般に大変難しいでしょう。
 首相は、学園との強い関連事実は認めつつも、しかし「私が何かを指示をしたことは絶対ない」、と、そのようなことをいったようですが、それを覆すのは大変難しい。例えば電話で「よろしく」といったとしても証拠は残っていないだろうから、といった意味だけではありません。この件に関しては、事実、首相は何の指示も依頼もしてはいない、ということがありうるからです。つまり、首相の答弁にウソはなく、違法な指示等はしていない可能性。仮にもし財務局等に違法処理があったとしても、仮に今後そのことが明らかになったとしても、それでも首相は、自分は違法な指示などしていない、と言い張れる可能性。
 小笠原氏もいわれるように、怖いのはむしろそこです。
 繰り返しますが、ほんとのところは分かりません。期待はできませんが、大いに追求してほしいと思います。しかし、どうも首相は、いまや、違法行為どころか、何ひとつしなくても済むような高みにいるのかもしれません。具体的な指示はもちろん、「ひとつよろしく」程度のことさえいわなくてよい。妻が校長の学校用地のことで財務局がどう動くかなど、もはや「意に介さない」でいられる。この「意」は自分の意です。首相本人は気にかけもしないでいられる。
 なぜなら、そんなことを気にかけなくても、財務局をはじめとする下々の役人が、「意を解して」動くに違いないからです。この「意」は他人の意です。つまり首相の思うところです。
 こうなると万事しめたもの。自分は何も「意に介さず」気にかけなくても、下々が自分の「意を解して」行動してくれるという確信。もし万一、下々が意を解する余り違法領域まで犯したとしても、そしてそれがバレたとしても、自分は全く安全にいられるという自信。もしかすると私たちは、こういう人物をこういう場所に置くことを、多数で支持しているのでしょうか。(続く)