空気について 1

 10月になった。かなり長い間中断していた間にも、災害あり事件あり、その他いろんな動きがあったが、しかしどうも、問題は「動き」にあるのではなく「空気」とやらにある、という声がだんだん多くなりつつあるようだ。

 例えば、9月20日号の『週刊朝日』で、田原総一朗氏が「空気」ということばを使っている。
 「このところのテレビのどの番組を見ても、安倍内閣の強硬な対韓政策を肯定していて、批判らしい批判をしている番組はほとんどない。
 かつて高名な評論家、山本七平が「日本は空気を破るのが最も悪いことで、空気を破ると生きていけない」と言ったが、この言葉が、その後どんどんリアリティーを増している。
 現在の安倍政権は一強多弱である。野党が分裂していて弱く、自民党議員たちが安倍首相のイエスマンになっているので、森友・加計疑惑などが起きても、聞く耳を持たずにやり過ごしてしまう。すると、メディアでも同調圧力が強くなり、安倍政権批判をすると、空気を破るような危険性を感じてしまうのだろうか。まことに情けないかぎりである。」
 そこで田原氏は、「何としても空気を破る番組をつくらなくては、と自分を恫喝し続けている」というのだが、しかし、そもそもその「空気」なるものは、一体どこにある、どんなものなのだろうか。

 田原氏は、先日問題となった、小学館週刊ポスト」の嫌韓特集に言及している。その特集に対しては、「私は今後小学館の仕事はしない」と宣言した内田樹氏をはじめ、多くの論者が強い批判の声をあげた。毎日新聞東京新聞も、小学館は「分断を助長」し「日本社会の一部にはびこる韓国人への偏見やヘイト感情におもね」ることで「売ろう」とした、と、その姿勢を強く批判した。
 ところが、そういった動きを紹介した田原氏は、こう続けるのである。
 「そんな毎日新聞東京新聞の激しい批判はそのとおりだと思うが、9月2日付の日本経済新聞世論調査の数字を見て、大きな衝撃を受けた。 
 日本政府の韓国に対する輸出管理の強化を「支持する」が67%、「支持しない」がわずか19%なのである」。
 
 ひどいヘイトがあっても、それを見過ごし、むしろ支持する「空気」がある。
 内閣の二つや三つが吹っ飛ぶ程の事件といわれたモリカケを追及されても、うそとごまかしを重ねて切り抜けてきた「虚偽紛れの虚言癖政権」(中村文則)でも、その支持率が下がらない。高を括った首相は、今回の改造で、何と問題の人物を文科大臣に起用した。「完全にたがが外れている。壊れている」(同)としかいいようがない。
 それでも、何もかも見過ごし、政権を支持し続ける「この国の「空気」」(同)がある。(続)