時代

 村田沙耶香コンビニ人間』は面白かったが、前年に書いたらしい『消滅世界』は、時々ひっかって、小説としてはあまり良く読めなかった。作家の問題というより読み手であるこちらの問題かもしれないが。
 文芸としての評価とは別に、この小説は、「異性愛主義との闘い」といった見方がされているようだが、これもよく分からない。提起されているのはむしろ別のことにあって、そしてそれは結構大きなテーマではないかと思うのだが、これを書きだすと長くなりそうなのでやめて、全く関係ない気楽なことを少しだけ。
 先日、浜崎あゆみが、妊娠というニュースもないまま、いつの間にか子供を持ったというので、代理母ではないかという根も葉もない噂が立ったりした。性差別の克服が先進国で一番遅れているこの国でも、今はそういう時代である。
 村田の小説は、妊娠を男性が担うようになっている世界での話である。胎児は、男性の腰に生理的に装着された人工子宮嚢で育てられる。
 しかし、どちらが技術的に難しいのかは知らないが、そこまで進むなら、むしろ産院の人工子宮槽で育てた方が、より安全だろう。 
 松尾由美『バルーン・タウンの殺人』は、そういったAU(人工子宮)による、「安全」な妊娠出産が広く普及した世界が前提となっている。ただ、どんな世界にも変わり者はいて、村田世界でも松尾世界でも、それが話を作っているのだが、以上のことは、今は関係がない。
 ついでに、一方は格調のある「純文学」で、他方はたかが「エンタメ小説」という格差がやはりあるのであろう。松尾の方にも、例えば「ファロス・ロゴス中心主義の敗北」といった場面もあるのだが、「異性愛主義の闘い」などという注目は多分されなかった。とはいえ、そういったことも、今は関係がない。
 さて、近未来SFというのはおそらく結構難しい。今はない未来をできるだけ空高く想像的に創造しなければならないのだが、その一方で、リアリティの凧糸を切らないように、今もある生活を丁寧に描かなければならない(最初に「ひっかかる」といったのもそういうことである)。
 と、とりとめもなく書いたところで、(タイトルと合っていないが)今日は終わり。