ゴリンと天皇

 少なくとも今のこころは何としてもやめないらしく、ということで、どこかで聖火ランナーが走っているのでしょう。
 走りたい人の気持ちは分からないでもありません。道をチンタラ走るだけで拍手してもらえ、地方テレビニュースに映ったりもするのですから。
 しかし、分からないのは見る方です。タレントなら別ですが、誰とも知らない人たちがダラダラ走っているのをわざわざ見にゆくというのは、どういう気持ちからなのでしょうか。
 福島では、まだ帰れない避難者が、通りに出れば見られる聖火ランを無視していたそうですが、わざわざ結構な人出の道に出かける人は、たぶん、実際に何かを見たいというよりは、「一生のうちに一度しか体験できない」イベントへの参加感をえるために沿道に立つのでしょう。そういえばNHKは、「ゴリン反対」という沿道の声を消したそうですが、反対があってはイベントの値打ちが下がるからでしょう。
 そういえば、柳美里の描くホームレスは、皇族の車が通る度に住まいのテントを撤去させられながら、それでも通りすぎる皇族の車に手を振ります。おそらく、何か大いなるものに囲われる一体感、とでもいったことなのでしょう。

 内田樹氏と白井聡氏の対談本を、結構面白く読みましたが、永続敗戦によりアメリカ支配が続いている戦後レジームに痛憤する両氏は、「愛国者」として天皇制を擁護しています。天皇制は非民主的だなどというが、じゃ君主のいるイギリスは非民主的というのか、逆に君主のいないアメリカに非民主的な人種差別があるじゃないか。上皇の「お言葉」こそ、君主のいる民主制国家という問題を考え抜いた立派な解であって、天皇の社会的機能を考えもしない原理だけの天皇制反対は余りにも単純すぎる、など。
 ということで、内田氏はいいます。天皇制を廃止しろというが、じゃあそのあとに、どんなアクターに天皇の機能を代行させるのか、その道筋を立てない廃止論は無責任だ、と。そんなわけで、昔から私は、天皇制民営化に賛同しているのです。(続く)