単純な話

 少し補足しておいた方がよいかもしれません。「単純」なものは「単純」だからダメだ、というのは「単純」かどうか。
 有縁社会は、メタレベルの無縁天皇に支えられつつ、無縁の人々を排除差別し、しかも両無縁がつながっているという、ダイナミックな複雑構造をもっているのですから、単純なフラット化や廃止論は無効です・・・というのは、誠にその通りでしょうし、多分そういったつもりなのでしょう。
 けれども、問題は、単純な廃止論を退けるその先で、単純廃止論は単純無効だから有効な複雑廃止論を提唱しようというのか、廃止論は単純無効だから(少なくとも当面は?)存続論に組みしようというのか。どうも単純な道筋で後者にゆくのです。などと書くと、街場の天皇論とかいう本で複雑に存続を論じているのに、読みもしないで単純イチャモンをつけるなと一蹴されるでしょうが。
 不可触賤民を神の子(ハリジャン)といったのはガンジーらしいですが、別に天皇でなくとも、神でも祖先でも王でも何でも、とにかく有縁世間から縁を拒否され差別される卑賤の無縁者が頼れるのは、メタレベルの無縁権力の他にはありません。江戸時代には非人や視覚障害者を「身分保障」したのは将軍でしたが、複雑だからそのままにしておこうとはならずに、単純な身分フラット論者や単純な倒幕論者が、デカイ顔をして東北列藩に襲いかかったのでした。
 それは余計な話であって、私も単純論は嫌いですが、錦旗を掲げた単純官軍が勝つのですからバカにはできません。