蛇足

 昨夜、「いい加減な話になってしまった」と書いて終わりにしたのだが、友人のフェミニストのことを思い浮かべると、やはり一言だけ付け足しておいた方がよいかもしれない。
 子を産み育てることを「ハンディキャップ」と貶めるそのこと自体が、「経済的生産」能力だけで全てを測る「近代(資本主義)」こそが生み出した(近代的)性差別に他ならない。原始女性は「産む性」として輝く太陽であったのだ、フェミニズム(の全て)が産むことを「批判」するというのは、頭から間違った誤解である・・・といった反論も含めて、面倒なので「単純乱暴に引き合いに出すと反論されるだろうが」と書くだけにしたのは、ちょっと乱暴すぎた。
 ついでに、そのことは、「私の」子がほしい(私的所有したい)という切実さと、子育ての「社会化」の問題(親権と養育義務(権利義務)はなぜ「私」に課せられるのか)にも関連するだろうが、そんなことまでいうとますますボロが出る一方なで、もうおしまい。