いじる(弄る)/もてあそぶ(弄ぶ)  松本人志事件

 ジャニーズに続き、オワコンといわれて久しいTV界を支えてきたもう一つの柱である吉本が揺れている。松本人志氏(以下M)の事件である。

 事件については、性質上、詳しくは分からない。しかし、はじめは「事実無根だ」と出来事そのものを否定する。それが不可能になると、出来事と行為はあったが「合意だった」と抗弁する。すると多くの擁護者が現れ、男を擁護して、直接的、間接的に告発した女性を非難する。指原莉乃氏や鈴木紗理奈氏がいう通り、伊藤詩織氏や五ノ井里奈氏をはじめ、他にも無数にある同類事件の際に、必ず起こる<セカンドレイプ>のパターンそのものである。上沼恵美子氏は「吐き気がする」といったが、多くの女性の本音だろう。

 事件についてはこれ以上コメントする気はないが、この際気になるのは、Mあるいはダウンタウン(以後DT)の「お笑い」芸とはどういうものか、ということである。今回、事件について批判的な発言をする人たちも、「事件行動」と「芸」は別だとして、Mのお笑いは超一流だとか、ダウンタウンが漫才の歴史を変えたとか、あえて付け足すことが多い。
 ジャニーズ北川氏(以下J)も、抜きんでた才能でタレント芸能の歴史を変えたといわれた。私には共に分からないことながら、Jの場合は、批判は、彼の性行動あるいは性癖だけに留まらなかった。彼が抜きんでた才能で開発した、タレントの発掘・育成・プロデュース一体化方式、つまりジャニーズ方式そのものが批判の的となっていった。ところが、Mの場合は、性行動だけが問題視され、Mの、あるいはDTの「お笑い」芸とは、何だったのか、今回の事件との関連性はないのかあるのか、そういった問いは問われない。どことか、Mの芸が、改めて持ち上げられる。
 私は「お笑い」界のことは分からない。しかし、MあるいはDTが、画期的に登場して以来、ここ30年ほど「お笑い」界の権威として君臨し、とりわけMは独占し過ぎるといわるほどほとんどの賞の審査員にもなって、多くの後輩芸人たちに影響を与えて来た、というのは、本当のことなのだろう。だとすると、M(あるいはDT)的な芸が、いまの「お笑い」界の標準芸となっている、ということになる。
 では、それはどういう芸風なのだろうか。そして、そのようなM的な「お笑い」の芸風と今回発覚したMの行動とは、通じるところがあるのだろうかないのだろうか。そういったことを問題にする論者が誰もいない(ように思う)。

 繰り返すが、私は、もともとMやDTが感覚的に合わないこともあって、ほとんど見ていないから、M的な芸風といったものがどんなものか知らない。Mが君臨し影響を与えてきたという昨今近の「お笑い」界について、発言する資格は全くない。
 ただ、最近のお笑いやバラエティで、少し気になることがある。もちろんそれは、MやDTの君臨とは、全く関係のないことだろう。少なくとも、以下書くことは、別にMやDTに限ったことではない。
 などと、もって持って回った言い方をしたが、大したことではない。最近のお笑いやバラエティで気になることといったのは、「いじる」という言葉をよく聞くようになったと感じるという、ただそれだけのことである。
 ただそれだけのことなので、後は、簡単に漢字辞典だけ参照して、おしまいにしよう。
 バラエティなどでは、「芸人はいじられてなんぼ」だとよくいわれる。もちろん、「いじる者/いじられる者」の間には、絶対的な区別がある。上位の芸人が「いじる」のである。ちなみにMは、トップに君臨する大芸人であるという。
 「いじる」は、漢字で書くと「弄る」である。「弄る」は「なぶる」などとも読み、「弄ぶ」と送れば、「もてあそぶ」になる。「いじめる」は「虐める、苛める」とも書くが「弄める」とも書く。
 お笑いに通じた多くの論者が、Mの芸を高く評価しているから、こんな話は、今回の事件とは全く関係ないのだろう。となると、ただの性癖というだけのことになるのか。

 横山やすし氏といえば、逮捕されるような事件行動を繰り返した大漫才師だが、彼は昔、登場したDTの漫才を見て、「人様の前に出すような芸やない」、といったという。それはどういう意味だったのだろうか。