F・ノート3 

 昨日も今日も、曇りと思えば雨、雨と思えば曇りと、はっきりしない。
 さて、「もの」の次に「生き−もの」。ベタな図式だが、まあそういうことで。
 といっても、「もの」(物体)と同じく、ここで「生きもの」(生命体)や生命を定義しようというのではない。生活語として使われる程度の曖昧概念でかまわない。
 ものは、さしあたりただ「ある」が、生きものは「生きて−いる(ある)」。生きているものは、生きることをやめれば、つまり死ねば、ただのものになる。では「生きている」とは、さしあたりどういうことだろうか。もちろんここでも、生き死にの定義ではなく、大まかな話である。
 さて、ものの消滅に至る物質交渉に抵抗するための方法のひとつは、例えばプラスチックに封じ込めることだ、ということだったが、ここで、「魚石」という話を思い出した。全く必要のない横道であるが、同じ調子の駄文ではつまらないので脱線する。
 『耳袋』という江戸時代の奇談集にあるのが基本らしい。もちろん私はその本で確認していないので怪しいが、おおよそこんな話である。長崎の商人伊勢屋(違っているかもしれないが、こうしておこう)の家に出入りしていた中国人が帰国するとのことで、招いて一席を設けたのだが、宴が終わって帰りがけに、客人が庭石に目を付け、高額で譲ってほしいという。理由が分からぬまま欲を出した伊勢屋が、さらに1000両という高額を吹きかけると、中国人は、では今度来るとき用意してくるので、絶対このままにしておいてほしいと、くれぐれも頼んで帰国した。異様な執着を不思議に思った伊勢屋が、その石をひっくり返してみてもどうしてみても、その値打ちの所以が分からない。で、遂に石を割ってみると、封じられていた水が流れ、赤い魚が2尾投げ出され、しばらく跳ねて動かなくなった。やがて件の中国人が3000両を用意して再び現れ、顛末を聞いてえらく嘆いた。あれは世に三つとない魚石といって、気長に磨いてゆくと、いずれガラスのように薄くなった石を通して、中に泳ぐ魚が見られるようになる。その魚を眺めれば、窮極の癒しとなって長生きできた筈のものを、と。