1-4:野蛮な不浄の地

 ところで、このとき漱石は、前任地の松山から熊本へ来たのであった。
 漱石ゆかりの地といえば松山を挙げる人は多いと思う。少なくとも熊本よりは。
 不精者の私は、どこへ行っても、折角来たのだからと名所や史跡を訪れるといったことは殆どしない。行き先の駅から出ることさえしない百鬼園先生には足許にも及ばないが、所用で熊本に行った時も、漱石の足跡には無縁で帰った。しかし、先年行った松山では勝手が違った。何しろ町中を「坊っちゃん電車」が走っていて、否応なく漱石の松山を売り込まれる。
 実際には、漱石が松山にいたのは1年だけで、一方熊本では4年以上も生活している。それでも漱石と聞いて松山を挙げる人の方が多いのは、いささかバランスが悪い気がしないでもないが、「坊ちゃん」と「草枕」の違いなのだろうか宣伝の違いなのだろうか。
 けれども、考えてみれば、松山はあれだけボロクソにいわれているのだから、かえって宣伝にでも何にでも遠慮なく漱石先生に働いてもらえるのかもしれない。もちろん小説はあくまで小説ではあるが、例えば、坊っちゃんが松山へ着いた最初のシーンではこうである(下線は引用者)。
 「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。」
 ついでに終わりはこうである。
 「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆へ出たような気がした。」
 もちろん、あくまでフィクションの主人公の感想である。実際の漱石は、20代の若さで校長以上の高給で迎えられ、転任時も丁重に送られているのだが、とはいえ、少なくとも小説とは正反対の感想をもって去ったというわけではなさそうだ。
 「この頃愛媛県には少々愛想が尽き申し候故どこかへ巣を替へんと存候。今までは随分義理と思ひ辛抱致し候へどもただいまでは口さへあれば直ぐ動くつもりに御座候。貴君の生まれ故郷ながら余り人気のよき処では御座なく候」。(子規宛書簡)
 というわけで、熊本に赴任したのだが、「野蛮な所」「不浄な地」松山とは違って、こちらでの第一印象を洩らした言葉が、「森の都」だったというのである。だが。