2-14 田舎町

 さて、「行人」の一行は、和歌山市に着いて路面電車に乗り換える。
 以前に触れたように、「江戸人」漱石は、松山はもちろん熊本でも、こんな田舎から早く帰りたいという気持ちを隠さない。小説とはいえ、ここ和歌山でも、主人公の目に映るのは「田舎」の風景である。
 食堂車にも「別にこれというほどの器量をもったものもいなかった」し、沿線の車窓に見えたのも「田舎めいた景色」だった。乗り換えた電車でも、主人公は、「閑静な電車ですね」と「侮どるよう」な感想を漏らし、「淋しい土塀つづきの狭い町を曲っ」たところで、母親が「へえーこれが昔のお城かね」と感歎の声をかけても天守閣を仰ぎ見ることもなく、ただ濠の蓮の花を眺めて「落ちつかない」気持ちになるだけである。そして電車は、「田舎道を走」って和歌の浦へ着く。
 もちろんこれは小説であって、設定された性格の主人公が設定された心理状況で抱く気分である。それでも、「食堂車」で優雅に昼食を食べても「南海の工業地」へ着いても、「田舎」の鬱屈さに囚われ「田舎」を「侮どるよう」な気持ちをもったままという、主人公の気分は、漱石のそれからかけ離れてはいない。
 こうして主人公たちは、翌朝「東洋一」の昇降機に乗って、「非常に欝陶しい感じを起し」、「牢屋見たいだな」「そうですね」と会話するのである。
 既に述べたように、漱石夏目金之助が、病身を和歌山に運び、「望海楼」に泊まってエレベーターに乗ったのは、2年前、11年8月のことである。訪れたのは、講演のためであった。
 講演会場に使われたのは、県会議事堂である。ちなみに、1896年に建てられた地上2階建の木造建築の議事堂は、登録有形文化財に指定され、現在は根来寺境内に移築されている。
 講演の演題は、「現代日本の開化」。ご承知のように、大変有名な講演である。